國學院大學久我山中学高等学校
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学びの泉・学びの杜 〜もっと知りたい國學院~ 第5回

第5回 由布院のまちづくり

國學院大學の学びを紹介する「学びの泉 学びの杜」。今年度は〝もっと知りたい國學院〟をテーマに、その独自性に迫ります。
第五回は観光まちづくり学部観光まちづくり学科教授の米田誠司先生です。一期生とともに創り上げてきた観光まちづくり学部の今や、男子高校2年生が修学旅行(来年3月の九州コース)で訪れる「由布院の歩き方」を伺いました。

 

 今春、一期生が社会人に

 ――2022年にスタートした「観光まちづくり学部」も25年度は4学年が揃い、この春、1期生が卒業します。今、感じていることを教えてください。

 國學院大學は140年を超える伝統ある大学ですが、「観光まちづくり学部」はまだ4年目と歴史は浅く、学部の雰囲気もよくわからない中で、開設を待ち望んで入学してくれた1期生には、よくチャレンジしてくれたという気持ちでいっぱいです。

 ――どのようなところに成長を感じていますか。

 「地域を見つめ、地域を動かす」というのが本学部のモットーですが、学部の特色である各種「ゼミナール」や「演習」などの授業では、地域の見方や調査・分析の方法などを座学で学ぶだけでなく、実際に現地を訪れて、そのまちの魅力や課題を見つけ出します。さらに、課題解決の具体的な構想をまとめて、地域の関係者の方々に提案することもあります。
 フィールドワークの行き先も豊富で、全国に観光まちづくりに関する連携協定を締結している地域があります。早ければ1年生の夏休みから、教員とともに国内外のさまざまな地域に出かけますので、地域に長年住み続けている人たちと関わる中で、現状を踏まえて今の自分に何ができるだろうかと、まず考えられる素養は身につけてくれたのではないかと思っています。

 ――1期生の就職先に注目が集まりそうですが、どのような学びが生かされているでしょうか。

演習Ⅲで使用する横浜市1000分の1模型

 グループで学び、実践する「演習」のうち「観光まちづくり演習Ⅰ」(2年生前期)では、地域の分析手法を学び、自分の好きな地域をアピールする課題を出します。それには1人で取り組みますが、2年生の後期に取り組む「同演習Ⅱ」では、6人グループで鎌倉市に出向いて地域を分析します。3年生前期の「同演習Ⅲ」では、やはりグループで東京や神奈川の5地域に出向いて調査・分析し、最後は提案も行います。初めて組む仲間と一つのものをつくり上げる作業はとても大変です。6人いれば、時には意見が合わないこともありますが、知恵を絞りながら一つの方向性を出し、なんとかやり遂げるところに価値があります。
 こうした実践的な授業で体験したことを就職活動の場で話すと、企業の方々から大変受けがいいようです。社会に出たら同じようにチームワークで仕事をするわけですし、おかげさまで公務員にも合格者が数多く出ています。

 ――大学院へ進学する学生もいますか。

 数は多くありませんが、一定数います。進学先は国公立大学などで、今後はもっと進学者が増えてくると思います。 

 

 全国公募で由布院に移住

 ――米田先生は由布院(大分県由布市)にもお住まいで、まちづくりにも携わっていると伺っています。どのようなご縁で関わることになったのですか。
 
 よく「産学官連携」(産業界<民間企業>、学校<教育・研究機関>、官公庁<国・地方公共団体>の三者)などと言いますが、私は「官」→「産」→「学」の順で仕事が変わりました。最初の職場は東京都庁で、大学院まで学んだことを実現できる場所を求めて入りました。中でも都市計画が専門で、大きい仕事をしてみたかったのですが、多摩ニュータウンの開発を経て、その後、東京都交通局に異動し、都営12号線(現在の都営大江戸線)の建設に携わりました。
 由布院とのご縁は、通勤電車の中で新聞を読んでいて、ふと由布院観光総合事務所事務局長全国公募の記事が目に止まったことから始まりました。すぐさま応募して面接も経て、93名の中から運よく選ばれて、家族とともに移住しました。1998年のことです。
 その翌年に、当時の運輸省(現在の国土交通省)の審議会で、観光まちづくりを考える部会が立ち上がるわけですが、「観光まちづくり」という言葉がこの頃、定義されました。そのときの主査が、本学部長の西村幸夫先生です。おそらく由布院は「観光まちづくり」という概念を考えるときのモデルの一つだったのでしょうが、そこに家族で飛び込んだわけです。その後、西村先生は、大分県の人材養成塾に長年関わられており、私はその塾の第1期生にもなりました。
「産」→「学」の転機は、2005年の由布市誕生がきっかけでした。3つの町(旧湯布院町、挾間町、庄内町)が合併して生まれたのですが、私たちは合併反対運動に関わっていました。それは湯布院町の資源も価値もよく分かっていたので、あえて合併する必要はないと考えていたのです。最終的に合併することになり、悔しい顛末とそこで経験したことをまとめるために、2006年に熊本大学大学院博士課程(公共政策学)に入り、働きながら博士論文をまとめていきました。学位を取得し、2012年から愛媛大学法文学部の観光まちづくりコースで教鞭をとり、ご縁をいただいて2020年に本学に赴任しました。現在も由布院の自宅と横浜の二拠点生活で、研究・教育活動に取り組んでいます。振り返れば、職は変われども、私にはずっと「まちづくり」という軸があったのだと思います。「官」「産」を経たからこそ、今の「学」があるとも思っています。

 ――たしか、由布院が全国的に知られるきっかけがありましたよね。

 1970年代に国鉄が打ち出した「ディスカバージャパン」というキャンペーンが、地方に目を向けるきっかけになったと思います。それまでは職場や町内会などの団体旅行が中心でしたが、そうではない個人での旅もできるんだと。特に若い女性が旅をし始めて、日本の観光は団体型から個人・小グループ型に変わっていきました。
 由布院の先輩たちは、70年代にヨーロッパを視察しています。持ち帰ったのは「食べ物も風景も地域らしさが資源である」という考え方でした。また宿が小さいことも実はメリットだと気づいて、展開していったのです。そうした観光まちづくりを、昭和40年代から始めて今も続けています。

 

由布院駅前から由布岳を望む(野外上映準備の様子)

 今、見えていないものを見てほしい

 ――本校の高2男子が、来年3月の修学旅行(九州またはオーストラリアの選択)で由布院を訪れます。そこで米田先生に「由布院の歩き方」を教えていただきたいのですが。

 由布院は外から見るとキラキラした観光地に見えるかもしれませんが、そうではない姿も見つけてほしいですね。都会で暮らしている高校生のみなさんが、地方に行くとどんなものを見つけてくれるのか、そうした視点や気づきが旅の面白さだと思います。何百年も農山村としてやってきたことの上に観光が乗っかっているはずなので、一枚、二枚、表層を剥がして見るような作業をしてもらえると嬉しいです。
 例えば田んぼの近くで飲食店を営んでいる方が、季節ごとに同じ場所で由布岳の写真を撮影しています。私の授業にも来てもらい、その写真を学生に見せると、「由布院の四季の移り変わりを感じることができる」と好評でした。例えばみなさんも、通学時の乗り物や歩いていて見える風景の中にも歴史があるものやいいものがたくさんありますので、日々の暮らしの中で、あるいは地方に出かけたときに、その土地らしい魅力をたくさん発見してほしいと思います。
 由布院は、2025年に「由布院駅」誕生100周年、「湯布院映画祭」50周年と、節目の年でした。映画祭は、温泉地には文化的なイベントが必要だという考えから始まっています。音楽祭では東京から演奏家が来て演奏します。演奏家も映画人ももちろんプロフェッショナルですが、夜は地元の人たちとの交流会にも参加し、和気あいあいとした雰囲気で過ごします。また今回は本学部の4年生2名と3年生1名が、映画祭スタッフとして参加しました。毎年参加を希望する学生が増えています。

 ――由布院のまちづくりを通じて、感じていることを教えてください。

 「観光まちづくり」というと、賑やかな「観光」と地味な「まちづくり」を単に重ねたものと思われるかもしれませんが、私は「観光」と「まちづくり」の間に何があるのかということを考えています。例えば由布院のパン屋さんは、地元の人や観光客にパンを販売するだけでなく、旅館と提携して、朝、焼きたてのパンを届けています。旅館の料理人は、夕食の片付けをする時間帯に翌日のメニューを確認して、提携している地元の農家にLINEで野菜の発注をします。農家はそれを受けて午前中に旅館に届けるというサイクルができています。そして「観光」と「まちづくり」の間にある「滞在」にも着目しています。

 ――地元のお店や農家と旅館がつながることによって、お互いにメリットを感じられるやりとりが行われているのですね。

 農作物は天候に左右されやすいのですが、あらかじめ作付の情報を伝えるなど、コミュニケーションをとることによって円滑なやりとりを目指しています。〝地産地消〟と言いますが、それは関係性を築いているからこそできることですよね。現場に行くと、いま実際に見えていることだけになりがちですが、見えていることの向こう側を見ることが大事です。学生にも、例えば、50年前、100年前に地域の人は何をしていたのかなど「今、見えていないものを見るようにしよう」という話をよくしています。
 由布院も魅力的なまちですが、オーバーツーリズムなど課題もたくさんあります。地域の人たちだけでは人手が足りず、成り立たなくなりつつある仕事もあるので、外の人がさらに関われる環境をつくることも大切だと思っています。オンラインやリモートで仕事ができる時代になりましたし、新しい時代が開かれたのだとすれば、完全に移住しなくてもいいと思います。2つ、3つの地域に関心をもつ人もいますので、そういう人たちの拠点に由布院も選んでもらって、滞在しているときにはそれぞれ自分の得意分野で地域を応援したり、関わってくれるようになればいいと思っています。


 観光まちづくりは間口が広い学問

 ――改めて観光まちづくり学部で学ぶ魅力や面白さを教えていただけますか。

 前に述べたように「地域を見つめ、地域を動かす」が本学部のモットーです。そういう人を育てるために必要な学びを、さまざまなキャリアや専門分野をもつ先生方が、工夫を凝らして学生にアプローチしているところだと思いますし、実践を伴う学修ができています。
 先ほども少し触れましたが、早ければ1年生の夏休みから、国内のさまざまな地域に出かけます。今年度は遠方では、岩手県陸前高田市、新潟県十日町市、群馬県草津温泉、静岡県島田市、広島県廿日市市などに行きました。

川崎の二ケ領用水久地円筒分水

 ――フィールドワークではどのようなことを行っていますか。

 私は学生とよく、そのまちの水の流れを調べます。山からまちに、まちから海に水が流れてくるルートを見ると、生活の様子が見えてくるからです。地元学で学んだ手法ですが、水路をみんなで絵にすると、川が集まって、水路が樹形のようになるんですね。山の栄養が川を通じて海に流れて行くことで、いろんな生物が生きていくことができますが、まさにそういう循環を知ることも大切だとわかります。
 そういう調査や分析が、大学の近くでできないかと考えて、1期生から始めたのが「川崎フィールドワーク」です。場所は川崎で、テーマは学生と何をやりたいかをしっかり議論して選びます。1期生は「農業」になりました。川崎は大都市ですがとても農業が盛んです。JAは、東急田園都市線の宮崎台駅などにある「セレサモス」という直営店で、川崎の農家が作ったものを販売しています。
 今年度の2期生は、川崎の「食」を調べています。テーマ設定に続き、何をどう調べるかを議論すると、「川崎の工業が食にどう作用しているのだろう」「実際の食生活を調べてみないとわからない」などの意見が出てきて、スーパーを調べて、マッピングもしました。そうすると空白地帯があることがわかり、そこにとくし丸のような移動スーパーが出ていることもわかり、川崎市民が何を食べているのかが少し見えてきました。観光だけではない現場が、すぐそこにあるのでありがたいです。麻生区あたりには農村らしいところがありますし、一方で臨海部のJFEスチールの跡地(高炉休止後の土地活用)をどうするかというようなスケールの大きな話もあります。

 ――まずはまちを知る、ということが大切なのですね。

 人は、人と人との間に生きています。ですから、対象がまちであっても、私は純粋な興味関心から現場に行ってよく地元の人と話します。地域の方とコミュニケーションをとる中で学ばせてもらって、自然と仲間意識も生まれてきたりするじゃないですか。学生にも、本学部の学びを通してそういうことをわかってほしいと思います。また、就職活動と並行して、一生のうちで好きなことに没頭できる大事な時期でもありますので、卒業論文にもしっかり取り組んでほしいですし、卒業した後でも自分が一生をかけて向き合うべきテーマも出てくると思いますので、「卒業後も研究を続けていこうね」と話しています。


 

米田 誠司(よねだ せいじ) 教授
1963年福岡県北九州市生まれ。1989年早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。同年東京都庁入庁。多摩ニュータウン開発、都営地下鉄建設等に携わる。1998年由布院観光総合事務所事務局長に就任し観光まちづくりを推進。2011年熊本大学大学院社会文化科学研究科博士課程修了。博士(公共政策学)。その後、2012年愛媛大学法文学部准教授を経て、2020年國學院大學研究開発推進機構教授。2022年國學院大學観光まちづくり学部教授。観光庁の委員等を歴任。研究分野は観光政策、地域政策、移住政策。著書に『観光まちづくりの展望』(学芸出版2024)、『「観光まちづくり」のための地域の見方・調べ方・考え方』(朝倉書店2023)、『図説わかる都市計画』(学芸出版社2021)、『観光の事典』(朝倉書店2019)、」『由布院モデル』(学芸出版2019)など多数。

【取材日/令和7年7月24日】