近年における社会の変化には、目を見張るものがあります。ICT化・国際化のスピードは増し、AI技術の飛躍的進歩による合理性の追求もその加速度を確実に増しています。なかなか先行きがはっきりとしない漠然とした不安の中、今こそ「どのように生きていくのか」が強く意識されているのではないでしょうか。
俳人松尾芭蕉はその俳諧理念として「不易流行」を説きました。新しみを求めて変化する流行性にこそ、永遠に変わることのない不易があり、不易と流行とはその根底において同じである、という考え方は、時流に敏感でありながらも一方で私たちの「根っこの部分」にも敏感であれということだと解釈しています。たとえば、現代における様々なSNSの進歩は、その根底に「人は人とつながっていたい」という心根の存在をしっかり理解できるように。
さて、久我山男子部と申しますと、学園三箴の一つである「明朗剛健」というイメージが強いように思われます。実際、サッカー・野球の試合に足を運びますと「久我山讃歌」を高らかに歌う生徒たちの姿を目にします「明朗剛健、明朗剛健、久我山我ら」という歌詞がスタジアムにこだまする光景を何度も目にしてきました。ただこれからの時代、私は「剛」だけでは心許ないと思っています。「剛」と「しなやかさ」を併せ持つ生徒を育んでいきたい。イメージとしては強風にも決して折れない「竹」のしなやかさです。しなやかさを体得して行くに当たり、他者とのコミュニケーションの重要性を理解しつつ、それを支える生徒ひとりひとりの心根に寄り添いながら育んで行く必要があるでしょう。
本校学校長は、折に触れ「利他の心」という言葉を口にします。私は「利他の心」の中にある「他者への思いやり」「感謝の心」こそ、これからの社会を生き抜くうえで、「しなやかさ」の源になるのではと思っています。自己を実現しつつ周囲の役に立つ。一見併存が難しそうですが、「利他の心」があればそれは可能ではないか、とも思います。「ありがとう」「ごめんなさい」が素直に言えること。「おはよう」「こんにちは」が自然に言えること。約束の時間に遅れないこと。男子部の「育み」はここから始まります。自分中心になりがちな思春期において、世の中は他者がいて自分がいて成り立っていることを改めて学んでいきます。他者がいて自分がいて初めて成り立つ「武道」。久我山男子部の中核の一つですが、決して相手を倒すことが目的ではなく、相手への感謝を胸に(礼節を胸に)自身を磨いていくことに重きを置いています。教員・顧問がいて、クラスメイトや仲間があって初めて切磋琢磨できる授業・課外活動。自身の欲を抑えて、全体の流れを優先する「自然体験教室」「研修会」などの宿泊行事。自身が時には裏方になり、クラスを支える「久我山祭」。クラスメイトが、学年全体が、男子部全体が、自身を磨くテキストになります。
國學院大學の系列校として、この国に根付く「不易な部分」…「感謝の心」…を基に、他者を敬い、時にはリーダーシップにより集団を導き、時には集団の一人として他者と協力し集団のために貢献する。その立ち位置を「しなやかに」変えることができる青年に育って欲しい。私たちはその思いを胸に日々生徒と切磋琢磨しています。
男子部では、日本古来から続く武道や伝統文化の体験を通じて、心身を鍛え、心を育む教育を行っています。
武道は、身体の柔軟性、筋力、バランス、協調性を向上させ、生徒たちは健康な生活習慣を身につけることができます。日々の稽古を通じて、集中力、忍耐力、決断力、自己制御などの価値観を養います。そしてなによりも、相手への礼節を学ぶ絶好の機会となります。
また伝統文化である「能」の体験を通じて、日本の伝統文化を表現できる社会人の育成を行っています。「能」の体験を通じてその技術のみならず、日本古来の表現や美的感覚などの力を養います。
本校では、中学1年生では柔道、中学2年生では剣道の基礎基本を学び、中学3年以降はいずれかを選択して稽古に励みます。高校2年3年次には、武道大会が行われ、特に3年次は生徒全員がその成果を発揮します。相手があることで、はじめて自らを磨くことができるということを理解し、感謝の気持ちを養います。礼節の体得こそ、武道の主眼です。
例年、本学卒業生で能楽師の高橋忍先生を講師にお招きして、各クラス8回にわたり日本の伝統文化「能」を体験します。
能楽師による謡と舞の稽古を通じて、身体から日本文化の理解を行います。
中学3年次に「今、私の思うこと」をテーマに、生徒全員が各々文章を考え、それを発表します。
久我山中学校での学びや体験をもとに、ひとりひとりが自分自身と向き合い、自分の考えを文章にすることで、自己認識が深まります。
また他の生徒の発表を聞くことで、多様性を理解し、自分の見識を広げるとともに、批判的な思考を養うことができます。
他者の発表内容の論理的な妥当性を評価し、お互いに表現を磨く機会にもなります。