國學院大學の学びを紹介する「学びの泉 学びの杜」。今年度のテーマは「研究最前線」。
各学部の先生方の学びにフォーカスします。第3回は、文学部中国文学科 准教授の青木洋司先生です。
中高の教員を目指していたはずが、学者との出会いにより漢文の世界へ導かれて研究者の道へ。中国思想の中でも「論語」と向き合うことの意味を伺いました。
研究者までの道のり
――中国文学にはいつ頃興味を持ちましたか。
中学校の図書館に、横山光輝さんの漫画「三国志」がありました。それを読んで面白いなと思ったのが最初です。その物語が高校の国語の教科書に載っていて、これがあのシーンかと……。血湧き肉躍るストーリーに惹かれました。
その後、高校では日本の古文に面白さを感じて、大学では日本文学を学ぼうと思い、関連する学部を受けました。入学した大学で吹野安先生(漢文学者)の授業を履修したことから漢文に興味を持って、1年の前期が終わる頃には先生がよく口にされていた國學院大學で、日本の古文ではなく漢文を学びたいと思うようになりました。その思いを抑えることができず、翌春、本学の入試に挑み、合格しました。
――研究対象が「論語」に至った経緯を教えてください。
吹野先生は「論語集注」を読んでくださいました。朱熹の論語の注釈書です。私は父親の影響で日本史も好きでした。「朱熹は日本にも強い影響を与えた」と聞いていたので、本学に入学当初は「朱子学」に興味をもっていました。
一方「論語」は高校の教科書にも載っていたので、当初は軽く見ていました。若気の至りです。大学受験が思うようにいかず悩んでいたときに、岩波文庫の「論語」を読み、自分なりに学んでいたので、論語は大丈夫、知っている、という認識でした。
当時、岐阜女子大学の近藤正則先生が非常勤で授業を担当されていて、1年次の授業で二宮金次郎も読んだ「大学」(儒教の基礎的な書物「四書」の一つ)を読んでくださいました。個人が良くなれば各家庭がよくなる。各家庭が良くなれば国が良くなる。国が良くなれば世界が平和になる。つまり世界平和のために必要なのは各人の努力だ。これが朱子学の論理で、わかりやすいと思いました。高校で古文を学んだときに、品詞分解を理解すると数式を解くように面白かった、あのときの感覚を思い出し、ますます朱子学の研究をしたい、と思うようになりました。
――では、大学院に進んでからですか。
大学院に進学することにしたのは研究のためではなく、自分自身を高めるためでした。中高の国語の教員を目指していたのですが、教育実習で中学校に行くと、自分の甘さが表面化し、力不足を痛感しました。自分を高める手段として大学院を経由したいと考え、自分を知る人が一人もいない九州大学大学院に進学しました。
國學院には友人がいます。親切にしてくださった先生方も多く、とても恵まれていました。甘えを断つ意味で、縁もゆかりもないところでゼロから勉強すべきだと思ったのです。結局、修士、博士を合わせて5年間、大学院で学びました。その後、関東に戻ってきて、中学校、高等学校の教員になる道を選びましたが、本学で教える機会をいただき今に至っています。考え抜いた末の決断と、素晴らしい先生方との出会いがなければ、研究者にはなっていなかったでしょう。
本学に勤め始めると、ある学会で近藤正則先生と再会しました。私を覚えてくださっていて、先生が関係している学会で何度も発表の機会を与えてくださいました。「君には見どころがあった。だから成長させたかったんだ」と言われたことを覚えています。吹野先生の教え子にあたる石本道明先生(國學院大學文学部中国文学科教授)も声をかけてくださり、「論語」の本を共著で出させていただくなど、研究者として成長する機会をいただいています。
論語に惹かれる理由
――2023年に國學院大學博物館で行われた「論語」の企画展も、そういうご縁により生まれたものなのですね。
石本道明先生、西岡和彦先生(國學院大學神道文化学部 神道文化学科教授)とご一緒に「論語 for Beginners 『論語』と格闘した江戸時代」という企画展を行いました。「論語」は孔子とその弟子たちの言行録です。江戸時代に出版が盛んになり、読者が爆発的に増えました。その軌跡を示すのが訓蒙書です。訓蒙書とは理解しやすくするための工夫がなされた学習参考書であり、そうした受け入れ方は日本独自のものといえます。
今回の企画展ではその訓蒙書にフォーカスし、これまでに類を見ない展示を行いました。計10,318名の方が足を運んでくださり、改めて「論語」への関心の高さを感じました。
――先生は「論語」のどのようなところに魅力を感じていますか。
1つは、時代と国を超えて読まれているところです。孔子は遡ること2500年前、紀元前500年あたりに活躍した人です。大昔の人である上に、日本人ではありません。中国の思想家です。その人の話した言葉が、日本でも奈良から令和まで、時代を超えて読み継がれていること自体が面白いですよね。昔も今も人は変わらず、役に立つから、今も読まれているのだと思います。
もう1つは、解釈が1つではないところです。例えば「孝」に関する質問に、孔子は「色難(かた)し」と答えました。この「色」を「親の顔色」とする人もいれば、「子の顔色」とする人もいます。異なるとらえ方ができるところも「論語」の面白いところだと思います。
もう1ついえば、孔子の言葉が実生活にも活かされているところです。役に立たなかったら、どこかで消えていたと思うんですよね。例えば、江戸時代に黒船が来て、その後、ヨーロッパの思想が入ってきました。もう論語の時代ではない、となってもおかしくない、大きなうねりが訪れても、明治、大正の教科書は漢文でした。
令和になってまた、論語ブームが起きています。それは時代が変わり、訳が変わっても、「人としてどうあるべきか」という部分が一貫しているからだと思います。例えば、孔子も弟子との関係で苦労したことがあるんですね。今の人と同じように悩んでいるので、古典を手がかりに自分の悩みをどう解決するかを考えてみることもできます。私の場合、中国思想、中でも孔子の教えが胸に響いたのは、学びが多かったからかもしれません。
中国と日本の違い
――孔子の生まれた時代はどのような時代だったのでしょうか。
中国王朝の権威が失墜し、諸侯が乱立するだけでなく、諸侯の国の中でも下克上が起きているような、社会がものすごく混乱していた時代です。だからこそ、世の中をなんとかしたいという孔子の言葉が、いつの時代にも響くものとして読まれてきたのではないかと思います。台湾の学者は「中国でも混乱の時代、戦乱の時代になると、古典の価値が再評価される」と言います。
――中国でも論語は読まれているのですか。
ものすごく読まれています。一時期、台湾のほうが読まれていた時代がありましたが、中国でも伝統文化を見直そうという動きがあり、アイデンティティとして受け入れられています。研究もすごい盛んです。
――朝鮮半島も含めて、中国と日本の論語解釈の違いはありますか。
中国は朱子学の影響が強かったため、朱子学という枠の中で「論語」が解釈されている時期が長く続きました。ですから、日本のように新しい解釈がいくつも出てくるということはありません。元(げん)の時代から 日清戦争の清までは、孔子の考えよりも、むしろ朱熹の考えた孔子の考えを勉強していました。
その背景には「科挙」(当時の公務員試験)があります。中国では「科挙」に論語が出たため、朱子と違う解釈では受かりません。一方、日本は殆ど科挙を取り入れず、比較的自由でした。そのため、日本では林羅山を始祖とする林家を除き、中国ほど朱子学の影響を受けませんでした。それにより非常に自由な解釈がたくさん生まれました。江戸時代には伊藤仁斎(儒学者)、荻生徂徠(儒学者、思想家)ら有名な学者も出てきました。
――文学部には史学科や哲学科もあります。中国文学科で学ぶ史学や思想、哲学とのすみ分けはどのようになっていますか。
中国にはもともと、文学、史学、哲学の区別がありません。その区分は後からできたので、中国の古典にはそういう概念がないのです。
例えば、宋代の有名な学者、蘇軾(蘇東坡)は多彩な才能の持ち主でした。「春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)」という詩が高校の教科書にも載るほど、漢詩に長けていました。そうした文学者としての一面もあれば、論語の注釈が書ける思想家でもありました。また、歴史に対する発言も行うなど、文学、思想、哲学に関する専門知識を高いレベルで兼ね備える学者でした。
朱子学で知られる朱熹も思想家と言われますが、 相当な漢詩も作っています。中国の学者は自ずとカテゴリーにこだわらない、多彩な学者を目指すため、本学科でも狭い意味の「文学」ではなく、「唐詩」(盛唐の詩人 李白・杜甫などが参加)や「論語」、司馬遷の「史記」などの書物を通して中国の学問を勉強します。この他にも現代中国語も勉強します。
――幅広く学べるのですね
そうです。中国の古典から思想だけ、あるいは哲学だけを取り出して、中国の知識人たちの教えをきちんと理解できるかというと、そうはいきません。中国文学には広がりがありますので、オープンキャンパスでもそこは強調しているところです。
――逆にとらえれば、中国文学と向き合う中で自分の興味関心に気づいて、そこを深く掘り下げたり、方向転換したりすることも可能ということでしょうか。
私はそれを狙っています。中国文化を学ぶうちに、自分の心が動くままにいくらでも方向転換ができるからです。
中学、高校のときに漢文を勉強したいという気持ちがあっても、その気持ちはおそらく小さなものだと思います。私自身も中高生の頃は世間を知らなかったですし、勉強も不十分でした。器が小さかったのですが、幸運にも素晴らしい先生に巡り会えて、自分でもいろいろと工夫しながら勉強を重ねていくうちに、多少は成長したと思います。自分の軸に論語などの中国思想があることにも気づくことができました。
そうした経験から、本学科で学ぶ学生には、中国文学を通して自分自身をアップデートしていく4年間であってほしいと思っています。
國學院大學で学ぶ意味
――中国文学を学べる大学は他にもありますが、國學院大學で学ぶ意味については、どのようにお考えですか。
ご存じのように本学は「皇典講究所」を母体に、国史・国文・国法を攻究する教育機関として誕生した歴史があります。「国学」が基軸になるので、先ほどお話した博物館の企画展も、日本で読まれた「論語」という視点で紹介しました。そういうとらえ方は、非常に本学らしいところだと思います。
――「もっと日本を。もっと世界へ」という大学のキャッチフレーズどおり、まずは日本における中国文学を学んでみよう、ということですか。
2024年は大河ドラマの影響で「源氏物語」が注目されました。平安時代に書かれたものですが、「論語」はさらに古く、日本では奈良時代から読まれています。今や高校の教科書にも取り上げられている馴染みのある古典なので、私の中では中国の古典というよりも日本の古典を扱っているという感覚です。
――学生の皆さんは、どのようなところに魅力を感じて入学していますか。
推薦入試の面接で志望理由を聞くと「高校の授業で漢文が面白かったから、もっと深く学びたい」と話す学生が多いです。中国文学科は1学年60名と少人数なので、じっくり学べる環境に魅力を感じている学生もいます。
漢文に、職業や就職に直結するような「即効性」はありません。学生にも「漢文はじっくり効く薬」みたいなものであると話しています。人生の糧になることを勉強できるので、読んでおくと困ったとき、あるいは苦しいときに役立ちます。
そういう意味では、社会に出るまでに時間のある中高時代にこそ、即効性のある学びよりも、即効性のない学びにじっくり取り組んで、今後の人生で飛躍するための土台をしっかり固めてほしいと思います。即効性のある学びはむしろ、就職した後に取り組んでもいいのではないかと思います。
――もし先生が小・中学生時代の自分に会えるとしたら、どのようなアドバイスをしたいですか。
小学生の頃の自分には「満足しちゃダメだぞ」と言いたいです。子どもは気づかないですよね。気にかけたり、寄り添ってくれたりする先生がいらっしゃるから、それに乗っかって、 なんとなくやった気になっていますが、大学以降は自分で学んでいかなければいけません。社会に出たら、自分の成長に関しては誰も手を貸してしてくれないので、いざというときに大学時代に学んだ論語に立ち返ることができるのは、すごくいいことだなと思います。
中学生の頃の自分には 「人と違っていいんだよ」と言いたいです。それには考え方も含まれます。会議などでアイデアを出し合ったときに、同じような意見ばかりでは発展しません。オリジナリティに大きな価値があると思うからです。
例えば、国語の授業で登場人物の心情を聞かれることがあると思います。そういうときに自分なりの考えを述べるなどトレーニングを重ねることによって、今後の人生で飛躍する土台ができていきます。
日本では「論語」を解釈した本が何百冊も出ています。読み比べてみると、同じ文でも視点を変えることによって解釈が広がることがわかります。中にはめちゃくちゃなことを言う人もいて勉強になります。経験から学ぶことも大切ですが、本から学べることもたくさんあるので、有効に活用してほしいと思います。
【取材日/令和6年9月12日】