國學院大學の学びを紹介する「学びの泉 学びの杜」。今年度のテーマは「研究最前線」。
各学部の先生方の学びにフォーカスします。第2回は、観光まちづくり学部准教授の河 炅珍先生です。
大学時代に留学生として韓国より来日。経営学と社会学の視点でPRと向き合い、100年の歴史を掘り起こした河先生に、改めて「PRとは何か」を伺いました。
本ページでは、紙面に掲載しきれなかった内容を加えてWeb版として掲載しています。今回はその《前編》です。
学生のみなさんへのインタビュー記事は《後編》として、近日中に公開予定です。しばらくお待ちください。
PRの本質とは
――研究領域を教えてください。
河先生 広く言えば社会学です。その中でもメディアとコミュニケーションが専門です。特に日本では「広報PR」と言われている「パブリック・リレーションズ(PR)」の歴史や理論を研究しています。本学部では「社会学概論」や「コミュニケーション論」などの授業を担当しています。
――どのような授業なのですか。
河先生 「社会学概論」では、社会学という学問を築き上げた著名な社会学者、例えばマックス・ヴェーバー、エミール・デュルケームらの主要な理論、概念などをもとに、現代社会や観光まちづくりの観点から説明する授業を行っています。
「コミュニケーション論」では、誰もが日々営んでいるコミュニケーションという非常に幅広い概念を扱っています。言語的・非言語的コミュニケーション、自我の形成や自己表現に関わるコミュニケーション、 家族やコミュニティに関わるコミュニケーションに加え、広告やPR、ジャーナリズム、プロパガンダ……、噂や流行などにも触れ、様々な角度から観光まちづくりに求められるコミュニケーションを教えています。
――PRの歴史や理論を研究されているということですが、詳しく教えていただけますか。
学生に、PRについて聞くと「#PR」「宣伝」「広告」「プロモーション」などの答えが返ってきます。もちろんそれらも狭義のPRですが、本質ではありません。PRの「P」はパブリック(public)で「公衆」を、「R」はリレーションズ(Relations)で「関係」をそれぞれ意味します。言葉からも伝わりますように、PRの本質的機能は社会のなかで他者と関係を形成することです。
リレーションに複数を意味する「s」がついているのは、PRが目指している関係が一つではないからでしょう。人で言えば家族・友だち・同僚・上司……。企業でいえばクライアント・消費者・株主……。人間も組織も社会が広がるにつれて様々な他者(他社)に出会い、関係も複雑になっていきます。多様な他者に応え、望ましい形で関係を構築し、維持していくコミュニケーションがPRと言えます。
――PRの本質は関係づくりなんですね。それを知るだけで意識が変わりますね。
河先生 今日は、私のゼミの学生(同学部1期生/3年生)が来てくれましたが、それぞれ自己PRを聞いてみましょうか。
榊原さん 榊原悠太です。大学の授業を通してつながることの大切さを感じて、地元の埼玉県富士見市でちょいちょいまちづくり活動にチャレンジしています。今年は第2回ふじみのMACHIfes streetで、ミニチュア傘をカスタマイズするワークショップを主催しました。
冨永さん 冨永空です。私が育った静岡県浜松市は、田舎とは言いにくい田舎みたいなところです。将来は地域PRの観点で新しい方法を打ち出して、まちづくりに貢献したいと思っています。
中川さん 中川佳奈です。神奈川県相模原市出身です。名前の母音が全部aなので、まだ何もない「A」から始まるようなことが好きです。例えば、去年は共同生活をしたので、日々の出来事をまとめた「笹塚居候日記」を自費出版して販売しています。今年の年末には個展を計画しています。
――皆さん、さすがですね。初対面でも会話が広がりそうな情報が入っていて……。
河先生 PRは応用コミュニケーションの一種で、非常に実践的分野です。ですから私の授業やゼミでは理論だけでなく、学生自ら実践を行う経験を大事にしています。例えば、地域のコミュニケーション戦略を分析し、改善に向けた提案を行ったり、好きなまちのPR動画を製作してみたり、身の回りのPRや広告をじっくり観察して分析したりしています。
そうすることによって個人や組織を巡る関係性について理解が深まるのです。「他者(他社、他のまち)」に対して、自分(自社、わがまち)はどのような存在なのか。自分が抱えている課題は何か。その課題に影響を与える要因は何か。相手と良い関係を形成するためにはどのような手法や切り口が必要か、などを考えることが、PRを学び、実践する上での第一歩となります。
学部時代に手にしたPRへの興味の種
――先生はいつ頃「PR」に着目したのですか。
河先生 PR の面白さに気づいたのは大学生時代です。当時、私は韓国梨花女子大学の言論・弘報・映像学部の学生でした。時代は21世紀になったばかり。インターネットの普及を受けて「マスコミュニケーション」や「マスメディア」を巡る議論に変化が生じていました。広告、マーケティングだけでなく、PRや広報分野への関心も高まっていました。
そんな中、図書館で偶然見つけたのが、アル・ライズが書いた一冊の本でした。タイトルは“The Fall of Advertising and the Rise of PR”で、広告の時代が終わり、これからはPR の時代だ、という挑戦的な内容でした。その主張が印象に残り、広告(アドバタイジング)とは違うPR(パブリック・リレーションズ)の魅力とは何か、を考えるようになりました。卒業後は、PR会社か広告代理店に就職し、バリバリ働きたいと思っていましたが、「PRとは何か」という本質的な問いへ、問題関心が移っていたのです。
――それが留学のきっかけですか。
河先生 最初はPRが生まれたアメリカに留学したいと思いましたが、祖父の影響もあり、日本へ留学することを決めました。祖父は農業経済学が専門で若い頃、日本留学を考えていましたが、朝鮮戦争により夢を諦めるしかなかったようです。アメリカも良いけれど、せっかくなら祖父の代わりに日本で学んでみたい、と思い、1年間、青山学院大学で学びました。青山学院大学は母校の梨花女子大学と姉妹校であり、交換留学プログラムを活用することができました。
留学中、1つの出会いがありました。母校には「ゼミ」形式の授業がなかったのでぜひ、日本の大学でゼミを経験してみたいと思い、同じ青学に留学経験をもつ先輩に尋ねたところ、小林保彦先生(当時、日本広告学会会長)を紹介してくれました。すぐに連絡してみると、好意的に受け入れてくださいました。小林先生は、日本の広告をアメリカのアドバタイジングと異なるものとして考えておられました。授業やゼミでは、江戸時代からバブル期まで、日本社会の歴史、経済とともに発展してきた広告文化について学び、とても勉強になりました。
経営学から社会学へ
――PRについての理解は深まりましたか。
河先生 留学生活はとても楽しく充実していましたが、肝心な「PRとは何か」については答えが見つかりませんでした。韓国に戻って就職すべきか、迷いましたが、もう少しこの問いに取り組んでみようと、そのまま修士課程に進学し、青山学院大学経営学研究科で2年間学びました。
韓国出身の私が、日本の大学で学び、アメリカに関する研究をする、という特殊な状況にはメリット、デメリット両方ありましたが、日本にいたからこそ、アメリカで発展したPRを客観的に捉え、距離感をもって研究できたのではないかと思います。アメリカを一つの対象として見ることができたのです。修士論文では、アメリカにおけるPR研究の特徴を分析してまとめました。平凡な内容ですが、書き終えた後に今につながる気づきを得ました。
経営学のミッションは、いかにして企業を存続させるか、組織を発展させるか、にあります。それを前提にPR活動も行われるわけですが、一方でPRは企業だけの道具なのか、ということが気になり始めました。企業の行うコミュニケーション活動は、当然ながら社会に影響を及ぼし、他者の考えや行動に変化をもたらします。PRの本質を社会的な観点から掘り下げることはできないか、と感じ、経営学から社会学に転向し、博士課程に進むことになりました。
――それは大きな冒険だったのでは?
河先生 専門分野が変わり、学問の土台を築き直す作業はかなり大変でした。東京大学大学院学際情報学府の吉見俊哉先生(社会学者/現在は東京大学名誉教授、國學院大學観光まちづくり学部教授)のもとで研究を始めましたが、学部から社会学を専攻すれば良かった、と後悔したこともあります。
研究と言えば、まずしっかりした仮説があって、適切な調査手法を用いて分析し、仮説を検証する流れが一般的ですが、途中から学問分野が変わった私の場合は、仮説を立てること自体がとても難しく、苦労の連続でした。自分の直感を生かし、問題意識を深めることから始めて、問いと手法と分析を組み合わせる作業を繰り返しているうちに、ようやく仮説のようなものが生まれます。それをまた、最初から何度も繰り返しました。この期間はどちらかと言えば「失敗」の区間ですが、7年間に及んだ博士課程の約7割は、こうした失敗の積み重ねでした。
私自身の経験を踏まえて言えば、失敗がなければ良い仮説は生まれません。当初、母国である韓国と日本を比較する研究を構想していましたが、そもそもアメリカを問わずしてPRの本質を解き明かすことはできない、と気づいたのは、だいぶ時間がたってからでした。収穫なしの軌道修正でしたので、見方によっては失敗と定義されるかもしれませんが、その失敗がなければ、博士論文やそれをもとにした本(『パブリック・リレーションズの歴史社会学――アメリカと日本における〈企業自我〉の構築』(岩波書店2017))は生まれなかったでしょう。
PRが誕生した20世紀初頭のアメリカに光を当て、100年以上の歴史からPRとは何かを掘り起こすことができたのも、経営学から社会学への方向転換があったからです。振り返れば、数々の「失敗」を経験してきたことは、むしろ幸運だったと思うのです。
PRは実践的コミュニケーション
――どのくらいの月日を費やしたことになりますか。
河先生 「PRとは何か」という問いを追いかけてきた月日は、学部4年、修士2年、博士7年と、約13年にもなりますね。今もPRの歴史や理論に関する研究をしているのでまだまだ続きそうです。
博士課程の恩師である吉見先生は「研究者にとって1番重要なのは執念だ」と、よくおっしゃいます。私の場合、執念とまで言えるかどうかわかりませんが、「PRとは何か」という問いが生まれたときからずっと、納得できる答えに出会いたいと思ってきました。
もちろん、学び始めた当初は勉強不足で、PRとは一体何なのだろう、その本質をどう究明できるか迷い続け、そう簡単には答えられなかったです。逆に言えば、すぐには解けない問題だったからこそ、時間をかけて大事に育て考え続けてきたのかもしれません。同じ問いでも今の自分なら「こういう本や論文を調べてみれば、何かヒントがありそうだ」と簡単に糸口を見つけるでしょう。20代の幼い自分だったからこそ、愛情を持って大事に問いを守り、育てられたのではないかと思います。
――研究とは問いを育てることなのですね。
河先生 問いを持つことは、すなわち解決するためだ、と思われるかもしれません。どのような問いもいつかは解決に向かうので焦る必要はありません。むしろ、問いと向き合う時間を大事にしたいですね。問いを大きくしてみるとか、 複雑にしてみるとか、横から、斜めから見てみるとか……。そういう思考の練習をすることで、新たな発見や気づきが得られることもよくあります。
私の場合、博士論文(後に出版された書籍)が「PRとは何か」という問いに対する暫定的な答えでしたが、その過程で育ててきた問いは、今も研究の基礎になっています。もし問いがすべて究明されてしまったら、研究の意味もなくなってしまうでしょう。
中高生の皆さんも引っかかっている問いがあれば、大小にかかわらず、すぐに解決しようとせず、じっくり育ててみてはいかがでしょうか。自分だからこそ見つけた問いを大事に育てていく経験から、予期せぬ発見や学びに出会えるかもしれません。
――研究成果をどのような形で学生に還元していますか。
河先生 PRは学問の世界だけでなく、実社会でも広く用いられる実践的コミュニケーション分野です。研究者としては歴史や理論に興味がありますが、教育の現場ではPRをはじめ、様々なコミュニケーション分野の理解を広め、学生自ら実践を行う環境づくりに力を注いでいます。
研究において欠かせない「問いを見つける」ことは、教育でもとても重要です。先ほど、少し紹介しましたが、私のゼミでは、学生がそれぞれ卒業研究につながる問いを探す訓練の一つとして、毎週「観察ノート」を作成しています。
①身の回りにあるPRを観察する→ ②気になる事例を選ぶ→ ③GOODかBADかを判定し、特徴や改善点を分析する、というシンプルなルールですが、回数を重ねるうちに、自分なりの「分析の視座」が生まれ、従来とは異なる観点から社会を見るようになります。
また、本学部の特色でもある「基礎ゼミ」(1、2年次の選択必修科目・各7回・2種類の講座が履修可)では、PR動画の制作・プレゼンを行っています。普段は映像コンテンツを見る側ですが、この授業では学生が動画の作り手となり、まちをPRする側になります。数ある資源や課題のなかでどれに注目するか、どのような人に見てもらいたいか、そのためにはどのような工夫を凝らす必要があるか、などを検討していくうちに、観光やまちづくりに対する見方が変わります。今回、来てくれた3人(榊原・冨永・中川)も基礎ゼミで素晴らしい作品を作りました。<詳しくは《後編》で紹介します>
ほかにも本学部は「観光まちづくり演習(Ⅰ~Ⅲ)」をはじめ、地域の魅力を磨き、課題解決に向け、提案を行うカリキュラムが特徴的です。与えられた課題に応えるだけでなく、自ら問いを見つけ、一生懸命取り組むことによって、変化や成長を実感できると思います。これからも学生とともに、より良い教育プログラムを作っていきたいと思っています。
【取材日/令和6年7月18日】