國學院大學の学びを紹介する「学びの泉 学びの杜」。今年度のテーマは「研究最前線」。
各学部の先生方の学びにフォーカスします。第1回は、経済学部教授の櫻井潤先生です。
「小・中・高と、自分に自信を持つことができなかった」と話す櫻井先生は、経済学と向き合うことで、どのように自分を開花させたのでしょうか。
自分らしさとは何か
――なぜ経済学に惹かれたのだと思いますか。
私は幼いころからお金にとても興味がありました。お金もうけに、ではありません。例えば親とスーパーに行けば、物の値段が数字で表示されています。その数字が、日によって変わるものがあることに気づくと、なぜだろう。不思議だな、と思いました。ただの「モノ」なのに、お金は人を幸せにしたり、不幸にしたりします。そういう小さな気づきから、興味を持って考えることは楽しいことなんだ、ということを、幼いころから感じていました。
高校生になり、通学で新宿駅西口を通るようになると、目に飛び込んできたのがホームレスの人たちです。当時はコンコースなど屋根のある場所にたくさんいました。通りすがりの人はまるで関心を示しません。自分にも、目をそらしてしまう意識が働く自覚はありましたが、不思議なことに、うまくいかないこともあるよね、という共感を持ちました。 だからといって、私は寄付をしようとか、ボランティアをやってみようとか。そういうことは考えません。その現実がどういうものなのかを知りたい! という欲求が湧き上がり、調査に没頭しました。ホームレスになった経緯や実態、生活保護制度など、さまざまな観点から興味を持って調べました。
そこで学んだのが、人は多様であるということです。暮らし方は人それぞれなので、押し付けのように何かをしてあげようと思ってはいけないんだ、と感じました。また、路上生活者に対する世間の人々の対応にも疑問を持ちました。自分も含めて、これはおかしい社会だなと思いました。
――考えることが好きなお子さんだったのですね。
考えることは好きでしたね。小さい頃から何をやってもあまりうまくいかない人生でした。うまくいかなかったときに、なぜなんだろう、と考えますよね。そうした経験を重ねるうちに、考えることの楽しさや、誠実に向き合うことの大切さを覚えました。
小学生のときに、進学塾に通う同級生に「なぜ、塾に通っているの?」と聞いたことがありますが、納得できる答えを返してくれる人は一人もいませんでした。私は単純に、自分よりも勉強に時間を費やしている彼らが学ぶ目的を知りたかったのです。小学生の頃に塾に通うことはありませんでしたが、学ぶ目的を見出すことができれば自分ももっと楽しく勉強に取り組めるのではないか、と思いました。その経験からも「なぜか」と考えることの大切さを感じました。
――経済以外の道を考えたことはありますか。
英語が得意だったので、中学時代は通訳になりたいと思っていました。受験勉強をしていたのですが、当時、珍しかった英語コースのある高校に推薦入試で合格できると知り、安易に決めてしまったのです。受験は落ちる可能性がありますよね。志望校に受かる自信がなかったのかもしれません。
無事に入学して最初の試験を受けると学年1位でした。思いもよらない結果に、自分はなぜ勉強しているのだろうか、と考えるようになり、勉強への興味が薄れていきました。親に学費を払ってもらい、安全なところで勉強する機会をもらっているのに放棄するとは何事だ。けしからん、と、今は心から思いますが、そのときは本当に無気力になってしまったのです。入学して半年あたりのことです。
別に不登校とか、荒れたとか、そういうことではなかったのですが、よく休んだり早退したりしていました。それでも先生は声をかけ続けてくれました。卒業間際になって、いろいろな人に迷惑をかけたことを反省しました。
そこからの大学受験でした。お金と人との関係を身近なことから考えたかったので、経済学部に進むことは決めていましたが、「哲学」にも興味がありました。例えば、自分らしい貢献の仕方とはどういうことか。そういうことを真面目に考えるのが「哲学」なのだろうと思い、哲学の勉強もできそうな経済学部のある大学を受験しました。
自分らしさを追求すると
――大学生活はいかがでしたか。
私は勉強がしたくて大学に入りましたが、そういう人たちばかりではないことに驚きました。大学生の中には要領よくサボったり、人のノートを借りていい点数を取ったりする人がいますよね。最初の試験のときに友人にノートを貸したところ、その人のほうが良い成績だったときは、改めて、何のために勉強しているのか、わからなくなりました。自分の成績はさておき、その現実を理解できなくて……。悩みながら勉強していました。
勉強を続けていれば、成績は上がります。ただ、連動して自分の価値も上がるかというと、そうとは思えませんでした。要領のいい人と自分を比べてしまうなど、大学生になっても自分に自信を持つことができませんでした。
――ターニングポイントは?
ゼミの先生との出会いだと思います。お金に興味があったので「金融(財政)」、哲学に興味があったので「理論」、ホームレスの影響もあったと思いますが「福祉(社会保障)」にも興味があって選べなかったので、全部を学べるゼミを探しました。先生方の紹介文やゼミの募集要項を参考に「現実をきちんと見ているか」という基準で門戸をたたいたのが金融論のゼミでした。
そのゼミを担当する先生が非常に素晴らしい方で、厳しくも、お金の流れを勉強する楽しさを教えてくださいました。私の場合、研究者になるべくして研究者になったのではありません。このゼミでとても楽しく勉強できたことから、自然ともっと勉強したい、と考えるようになりました。
「哲学」か「経済」か。どちらを専門とするかで迷い、ゼミの先生に相談すると、私にわかる言葉で話をしてくれました。先生は「哲学は高尚、経済は下世話」と表現し、「君には高尚なことは無理だから、下世話な経済学をやりなさい」とおっしゃいました。心から「そうだな」と思いました。なぜなら、私が物事を考えるようになったのは、お金という人を上品にも下品にもするものから始まっている、と思ったからです。
人が人を助けるためにはお金を集め、そのお金を使ってどういう人を救い、どういう人にはそのお金を使わないのか、という基準が必要です。その基準を人間が決めるとは、なんと傲慢なんだろうと思います。それが“下品”な銭勘定で政治的に動くこともあれば、“高尚”な人の気持ちで動くこともあります。現実は上品であり下品でもあるのです。つまり、私の悩みはどちらから見るかであり、そう考えたら、やはり経済学でいいのかな、と思いました。
そして「福祉国家の財政」という分野を見つけました。社会保障が基軸というのは、日本にかぎらず、先進諸国の共通点で、現代国家は福祉国家という特徴を持っています。そこで福祉国家の本を読むと、集めたお金をいかに使うか、という話はたくさんありますが、お金をどのようにして集めるか、という話はあまりないことに気づきました。そこに面白さを感じて、福祉国家の財政を学び、研究者になることを目的に大学院に進学しました。
アメリカの医療保障財政に興味
――すべての経験がつながったのですね。
大学院では研究テーマを考えるために、いろいろな国の、いろいろな社会保障の勉強をして、一番おかしい現実を勉強しよう、と思いました。そして選んだのが「アメリカの医療保障財政」でした。アメリカの医療費は世界一高いのです。大袈裟ではなく、病院に1泊入院するだけで100万円かかることもざらです。生まれた時に病弱な赤ちゃんが生まれて、乳児の集中治療室NICUに30日間入院することになったら、お父さん、お母さんは30日後に100万ドル(約1億5000万円)の借金を抱えることになるので、「ミリオンダラーベイビー」と言われています。 病弱かどうかは誰も選べないのに、親は1億5000万円の借金を抱えて、その子を育てなければいけないのです。お金を払えずに子どもが亡くなることもたびたびあります。
加えて、医療保険も深刻な問題です。日本や多くの先進諸国では政府が医療保険の運営を行っています。国民は加入が義務づけられていて、保険証を持つことが原則という国がほとんどです。それを国民皆保険(こくみんかいほけん)と言うのですが、アメリカはそれが整備されていません。国民の過半数が、民間の保険会社から保険という商品を買って、医療保険に加入しています。当然、無保険者もいて、ピーク時は5000万人。国民の2割近くにあたる人が病気のときに医療費の保障が一切なく、全額を自分で支払わなければなりません。まさに「命イコールお金」の国なのです。どうにかならないのか、という思いから、勉強することにしました。
私は音楽が好きで、特にアメリカの音楽に惹かれています。アメリカという国にも興味があったので、(単純に)良い研究テーマだなと思ったのですが、先生から「アメリカを研究することの意味を、日本と結びつけて考えなさい」との指摘を受けました。
日本では高齢化が進んでいます。お年寄りは病気や怪我をしやすい。治るまでに時間がかかる。つまり、若い人よりもたくさんの医療費が必要になることは明確です。これからは医療ニーズが高まる時代なのです。その費用は、今、現役で働いている若い世代の税金と社会保険料で賄われています。 それに納得している人が仮にいたとしても、これから増え続ける負担に耐えられるのだろうか。今後も納得し続けるだろうか。そうした議論は、私が大学生のころからありました。これからさらに深刻な問題と化したときに、日本もお金で命の価値を決める国になるのでしょうか。
アメリカは良くも悪くも先行例なのです。これからアメリカが良い方向に向かうのか。現状のままなのか。さらに悪い方向に向かうのか。いずれにしても、日本にとって注目すべき国であることは間違いない、と思っています。
現実を正しく認識しよう
――研究を通して、アメリカという国をどのように感じていますか。
アメリカを研究すると醜い現実に直面します。深刻な問題も多いのですが、私は非常に面白い国だと思っています。その1つがアメリカ映画でも表現されている「不屈の精神」です。アメリカ人はreborn(再生)、regain(回復)、resurrection(復活)など、「reなんとか」という言葉が大好きですよね。どんなに深刻な状況でも、いかに這い上がるか、という野心に燃えている国なので、医療費負担の問題も決してあきらめません。非常に強いエネルギーを持って、なんとか解決しようとイノベーティブに取り組みます。
例え、それがお金儲けの原理で動いていたとしても、是非を問うのは後回しでもいい。なんとかお金をやりくりして、みんなで幸せになる、ということが最も大事であり、それが経済学の目指すところであろうかと思います。
学生にも「いいか悪いかの価値判断はひとまず置いておいて、現実を知ろう。そして、日本との違いを考えよう」という話をよくします。「変えることが大事だ」というのはその通りなのですが、そのためにはまず、現実を正しく認識する必要があると思います。
――アメリカを訪れることも多いのですか。
「現場を見る」「現場を知る」ということを信条としているので、できるかぎり現地へ足を運び、現地の人の目線に立って調査する機会を持ちたいと思っています。特にアメリカは、マスコミが伝える情報に偏りがあり、実際と違うことがあります。なぜなら、良くも悪くもいまだにニューヨーク、ワシントン、カリフォルニアなど、大都市の一部の身近な現実を、アメリカの事情として伝える傾向があるからです。
例えば、トランプが大統領選挙に当選した年の8月に、私はアメリカに渡りました。そのとき、日本では「アメリカの多くの国民はリベラルなヒラリー支持で固まっている」とよく報道されていました。私の周囲のアメリカの研究者は「それはありえないだろう」と言いました。
なぜなら、ウエストバージニアやオハイオなどで貧困に苦しむ人たちは、ヒラリーの公約を実施しても、自分たちに雇用やお金は生まれない、ということをよくわかっているからです。そのときにトランプが登場し、「皆さんの味方だ。人種差別は良くないかもしれないが、白人以外をあまりにも優遇するというのはどうだろう」と言ったら、「プアホワイト」と言われる貧困の白人の人たちは、やっと自分たちの気持ちを代弁してくれる人が現れた、と思うわけです。
カリフォルニア州北部に位置するリベラルなサンフランシスコから、サクラメントに車で向かったときも、40分ほど走ったところで高速道路を一旦降りたら、「We support TRUMP」 という横断幕が家の窓や屋根に張られていました。中心部から車で40分ほどのところでも、これだけトランプ支持を公言しているのであれば、アメリカの中西部や都市部以外はトランプ支持なんだろうな、と容易に想像がつき、案の定トランプが当選しました。
その後にテキサスに行き、調査に協力してくれた人々に「あなたはトランプ大統領になったことをどう思いますか」と尋ねると、「あなたたちは間違っている」と怒られました。これは意外でした。公立病院で働く高学歴の人が「『リベラルだ』『コンサバティブだ』と言っているのは一部の政治家や学者だけで、我々、労働者にとってはどうでもいいことだ」と、言うのです。
2人のうち1人は、自分の目の前の生活を守ってくれる人に投票するのは当たり前ではないか、と考えています。つまりアメリカ人は、誰になんと言われようとも、現実を見ているのです。 彼らの考え方からも、現実を見ることの大切さを実感しました。また、アメリカの現実をそのまま伝えることは価値がある、と感じました。
楽しく学んでいますか
――情報化時代に生きる学生に、大事にしてほしいことがあれば教えてください。
日本の大学生は世界的に見ればまだまだ高学歴の部類だと思います。そういう人たちが、印象操作や情報操作をされてどうする、ということを、授業の中で学生に投げかけています。
例えば、「消費税を減税すべきだ」「なくすべきだ」という政党、政治家、 学者が一定数います。それは1つの正解かもしれませんが、消費税を減税したり、なくしたりしたら、減った税収をどうするのでしょうか。
「財源にまで責任を持つから当選させてください」と言う政治家はいくらかはいますが、「増税するから当選させてください」と言う政治家はまずいないでしょう。「増税は皆さんの幸せにつながることなんですよ」と言う学者も稀です。なるべく増税は回避して「減税すべきだ」という人 が多いのです。マスコミも増税の話題が出ると、かなり否定的に報道します。そのほうが理解を得やすいからです。
学生には、現実を正しく認識する、情報を正しく使う、ということを大事にしてほしいと思います。マスコミの情報にも偏りがあるとしたら、自分で見分けるしかありません。ものの見方や考え方を養うことも必要になります。
――授業はどのようなスタイルで行っていますか。
私は、授業やゼミの学生に対して「真面目に楽しく一緒に学びましょう」と、いつも言っています。真面目にやらないと楽しくないですし、楽しくないと続かないからです。真面目に楽しく学んでいれば、楽しく学び続けられると思います。
一緒に勉強しましょう、という考え方なので、学生の皆さんに教える、という感覚はいまだに持っていません。そういう先生は必ずいますし、「一緒に勉強しましょう」と生徒が言ってくれたら、嬉しくない先生はいないと思います。 そういう先生と一緒に受験勉強も楽しく没頭してほしいです。
本学の経済学部はアクティブラーニング型の授業を重視しています。1年生が必修で学ぶ「基礎演習」では、アクティブラーニングを軸としたグループワーク形式の演習を通年で行っています。私が担当する「政策デザイン」では、社会や経済の課題を解決するための政策の立案を行います。「財政の基礎」という授業では、例えば、消費税について賛成か反対かを議論します。「違う意見でも自分との共通点を見つけてみなさい」と言うと、結構見つかります。こうした授業を、 学生も「面白い」と言ってくれます。グループワークは、自分が考えもしなかった新鮮な意見を取り入れることができます。それ自体に価値がありますし、少しでも楽しいと思ってもらえるといいなと思っています。
――最後に、中高生にメッセージをお願いします。
伝えたいことは2つあります。1つは、没頭できる何かを見つけてほしい、ということです。 見つかれば、それに集中して没頭することにより、幸せに近づけると思います。 そのために勉強する、と考えてほしいと思います。幸せに近づくために学ぶ、という意味では、 受験勉強も勉強も趣味も同じです。分けて考えてほしくありません。それをわかってほしいですし、いずれも没頭してほしいと思います。
もう1つは、身近な現実に興味を持ってほしい、ということです。身近な現実に興味を持って考えたり、調べたりしていると、自分の考えやなりたい自分が、だんだん分かってくると思います。
【取材日/令和6年6月20日】