昨年度から始まった國學院大學の学びをご紹介するこの連載。今回は学部長の先生方に伺っています。締めくくりとなる第六回は、文学部の矢部健太郎先生です。実学志向が高まるなか、文学部の存在価値はいかに。國學院大學文学部史学科を卒業し、本校で社会科を教える中村友子先生が、文学部で学ぶことの意味を訊きました。
國學院の歴史と伝統をつなぐ文学部。
時空を旅して考える力を磨こう
――國學院大學文学部の特色をどのようにとらえていますか。
國學院は日本一古い私立大学の一つです。1890年の大学令により、慶應義塾、早稲田、同志社などとともに認可されました。その当時、新しくできた大学はみな海外に目を向けていましたが、國學院はあえて国内に目を向けました。なぜなら、本学の母体は日本(特に皇典や神道)を学ぶために国が設立した「皇典講究所」だからです。
1870年代に、岩倉具視をはじめとする使節団が欧米を訪問しました。日本人が珍しかった時代ですから、行く先々でさまざまな質問が飛び交ったことでしょう。帰国後、自分たちは日本のことを何も知らない、もっと自国のことを学ばなければいけない、と感じて設立されたのが皇典講究所なのです。
慶應には福沢諭吉、早稲田には大隈重信、同志社には新島襄という創立者がいますが、國學院には創立者がいません。なぜなら「国が作った」国史・国文・国法を専修する研究機関から始まっているからです。私はそこが最大の個性だと思っています。文系だけでほぼ早稲田大学に匹敵するという、図書館の蔵書数(約161万冊!)しかり。日本の文化や歴史について学びを深めたい人が満足できる環境を提供できる大学だと思いますし、そうでなければいけないと思っています。
現在、6つの学部がありますが、文学部は140年に及ぶ國學院の歴史と伝統を直接継承する学部として、存在意義を発信し続けています。
――「もっと日本を もっと世界へ」というキャッチフレーズには、そうした思いが集約されていますよね。
本学部には「日本文学科」「中国文学科」「外国語文化学科」「史学科」「哲学科」がありますが、学科を問わず「人間」を研究対象としているところも特色の一つです。人は何を思い、何を考え、どのような活動をしたのか、という普遍的なテーマを掘り下げています。
私は日本史学の教員ですが、本学文学部の役割は、「日本の歴史や伝統を踏まえて、将来を見通す力を育成すること」であると考えています。社会に出るといろいろな問題に直面しますが、それはいきなり発生するわけではありません。必ず原因があり、経過があり、結果があります。この先、どうなっていくのだろう、と不安を抱えながらも、見通しを立てたり解決策を考えたりする時に、時間に忠実に過去の経緯や事実をたどるという、歴史的な思考が役に立つのです。
文学部の学びは生活の糧にならない、と思っている人もいるかもしれませんが、先人が一枚一枚、薄い紙を重ねるように行動した先に我々はいます。より良い未来を創造するためには、過去をきちんと踏まえるということが重要なのです。
――「学びの環境が整っている」というお話でしたが、特筆すべき点を教えてください。
まず、教員の数が多いです。例えば日本史には古代、中世、近世、近現代と4つの時代区分がありますが、それぞれに2名ずつ、8名の専任が在籍しています。専門性の高い研究者が授業やゼミを受け持つという考え方は、國學院大學のルーツによるものだと思います。
自ずとカリキュラムも豊富です。調べたところ史学科の専門科目は科目名だけで100種類もありました。もちろん講座数はその倍以上あります。日本の文化や歴史に対する知見を深める学びをベースに、諸外国の言語や文化、哲学や芸術についても学べます。また、かなり広い範囲で他学部・他学科の授業も履修できます。学びの幅が広いので、大学4年間は自分の興味や好奇心に従ってさまざまな授業を履修し、ものの見方や考え方など、社会でも通用する幅広いスキルを磨いてほしいと思っています。
4年間の学びの集大成である卒業論文は、中国文学科(選択)を除く4学科で必修です。少人数のアットホームなゼミで週1回、顔を合わせて学びながら、2年間かけて書き上げます。
――先生の専門分野(戦国織豊期)は特に人気がありそうですね。
そうですね。この時代の武将はキャラが立っているので、ゼミの希望者は多いです。ただ、「好き」という気持ちだけで研究はできません。史料を読み解く力が不可欠です。
史料の数は、庶民も文字を書き始める江戸時代を境に大きく変わります。江戸時代以降は無数にあります。戦国時代までは数が少なく、重要文化財や国宝に指定されている史料も少なくありません。未活字の史料もありますから、いずれにしても難解です。ガイダンスでは「覚悟をもって入ってきてほしい」と話しています。
熱心に取り組んだゼミ生のなかには、大学院に進まずとも、高校の教員や企業に勤めながら研究論文を書き、研究成果を世に発信するような人もいます。それだけしっかりと、新しい歴史を作る方法をレクチャーしています。
教科書は地球儀のようなもの。
興味をもった先におもしろさがある
――教科書を追うと、歴史を学ぶ醍醐味がなかなか伝わらないのが悩ましいところです。「史学科では何を学ぶのか」と疑問をもつ生徒には、どのように対応すべきとお考えですか。
教科書は、どこにどんな国があるのかな、と見ている地球儀のようなものなんですよね。情報は広く浅いのですが、教科書に記されていることは、歴史にかぎらず、それぞれの学問において非常に重要な基礎知識です。知っていなければ疑問すら持てません。
私たち研究者は、現在、わかっている情報が正しいかどうかを判断したい、新しい知識を見出したい、という思いで、地球儀上のある地点を掘り起こしていきます。私でいえば特に豊臣政権期ということになりますが、それらは、約400ページある高校の歴史の教科書の5ページ程度にすぎません。ですから、大学ではまず興味をもった科目を広く学んでもらうことを大切にしています。
――先生はなぜ史学の道へ進んだのですか。
高校時代に夢中になった「信長の野望」というゲームの影響が大きかったです。大学入学時は将来は社会科の先生になって、戦国織豊期をおもしろく伝えたいと思っていましたが、歴史の論文を書くことの意味を知り、新たな光を当てて歴史を論じる「研究」におもしろさを感じるようになりました。
歴史学は「時空を超えた人間観察」なんですよね。例えば、徳川幕府は自分たちがいかに正しいかを主張するために、豊臣の歴史を改ざんしました。権力者は自らを正当化するために、非常に危険な選択をする可能性があるのです。そうした危険は今の時代にもありますから、アンテナを張って、騙されないようにしなければいけません。学べば学ぶほど、何が正しくて、何が間違っているのかを判断する力が養われる歴史学は、人間としてまっとうに生きるための根本を指し示す学問なのではないか、と思っています。
一方で、法学に近い感覚もあります。史料を読み解き、エビデンス(根拠)を集めて、見解を述べます。歴史上の人物を原告、被告に見立てて、裁判官、弁護士、あるいは検事、というように、自分の立場を変えて見解が正しいということを証明していくからです。
タイムマシンがない限り、歴史の「真実」には到達できないので、研究者同士で見解を述べ合う際にも、いかに説得力をもたせるかが重要になります。
――根拠を示して、説得力のある解説をするということですね。
研究者にかぎらず、一般企業でも行うことだと思います。例えば営業の企画提案をする時に、データに基づいて説明できると説得力が増します。もちろん、使用するデータは正しいものでなければなりません。また、チャットGPTなどコンピュータが文章を作成するようになった現在、それを鵜呑みにせず、正しいかどうかを判断できなければいけませんが、そのために必要な知識を身につけることも大切にしてほしいです。文学部の学問が社会に出てからも応用可能なのは、そのようなスキルを身につけることができる、という点も大きな理由の一つといえるでしょう。
――教職講座で先生の授業を受講した際に「教科書にある五大老と五奉行の語句を疑え」と言われて、すごくおもしろいなと思ったことを覚えています。
秀吉政権の話ですよね。教科書では「五大老」がキーワードになっていますが、秀頼という実子がいながら、家康に政権を託すなどということはありえないと思うのです。調べた結果、秀吉は「五大老」という言葉を知らずに亡くなり、徳川幕府が自らを正当化するためにその言葉を編み出した、という可能性に気づきました。
――あたりまえのことをあたりまえと思わずに、良い意味で疑う、見方を変える、という意識をもって経験を重ねていくと、世の中の見方が変わっていくと思います。そう考えると、「人間」を研究対象としている文学部の存在意義はとても大きいですよね。
医学の世界でも倫理を大切にしているように、すべての学問の真髄に「哲学」があります。防衛大学校では、私が教官となる数年前に「人間文化学科」ができました。防衛大学校は全体の約8割が理工学系の学科なのですが、自衛隊という組織で防衛大の卒業生たちがどのような立場に就き、何を目的に活動するかを考えるなかで、足りていなかった最後のピースが「人間文化学科」、すなわち人文科学系を学ぶ学科だったのです。
本学でもかつて神道文化学部が文学部神道学科だったように、文学部の学びは人間の精神にかかわります。多角的な観点から人生を豊かにする学問を文学部で学び、そこでの学びをなんらかの形で社会に還元してもらえたら、こんなに嬉しいことはありません。
【取材日/令和5年7月7日】