國學院大學久我山中学高等学校
総合TOP
閉じる

学びの泉・学びの杜 〜國學院の今 第7回

第7回 石山 千代 先生(観光まちづくり学部准教授)

石山 千代(いしやま ちよ)先生 1977年大分県で生まれ東京都で育つ。國學院大學観光まちづくり学部准教授。博士(工学)。専門は地域デザイン。歴史的環境保全、観光計画。『観光まちづくり』『観光地経営の視点と実践』(共著)ほか著書・論文多数。

 令和4年4月に開設されたばかりの観光まちづくり学部。期待を集める新学部での学びの内容や、その魅力についてお話を伺うため、髙橋秀明副校長が横浜たまプラーザキャンパスに石山千代先生をお訪ねした。

 地域に軸足を置いた観光まちづくりを学ぶ学部が誕生

――1期生を迎えていかがですか。

 各地から意欲ある学生がたくさん入学してくれました。学生がここで学ぶ姿をイメージしながらカリキュラムも施設整備も検討を重ねてきたので、実際に学生とともに学ぶ日々がとても嬉しいです。

――学部の特色は何でしょう。

 観光まちづくり学部は「観光学」という広い学問領域において、地域に軸足を置いた「まちづくり」の実践を目指す学部です。國學院大學は全国各地の神社とつながりが深く、地域社会の維持や活性化に貢献する役割を担っているとも言えます。本学部の原点もそこにあり、他大学の観光系学部と差別化できているところです。

たまプラーザ校舎演習室にて

 実際、特に地方で、地域のために何かをしたいと思っている学生さんが関心を寄せてくれています。本学は首都圏出身の学生が多いのですが、観光まちづくり学部には北海道から沖縄まで、幅広い地域から学生が来てくれています。地域愛にあふれ、卒業後は地元に帰って活躍したいと考えている学生も多いです。様々な場面で自分と縁のある地域なら何ができるだろうかと考えて意見を述べてくれるので、学生同士良い刺激になっていると思います。

――地域に軸足を置いたまちづくりは國學院らしいですね。

 はい。私たちのスローガンは「地域を見つめ、地域を動かす」です。

「地域を見つめる」とは、その地域が持っていながら、地元の人も見過ごしている強みや魅力を外からの視点を加えて丁寧に掘り起こし、調査や検証をすることです。「地域を動かす」とはなかなか大変なことなのですが、地域の魅力を磨き上げ、地域内外の交流へつながる施策を提案し、そこに暮らす方々とまちづくりを進めていくことです。これらを実践することにより、新たな観光学のあり方を開拓し、地域に貢献できる人材を育てていきたいと考えています。

妻籠宿(つまごじゅく) 長野県南西部、木曽郡南木曽町。中山道の宿場町。維新後の宿駅制度の廃止やJR中央線の敷設等で寂れたが、地元の保存運動により宿場町を復元し旧中山道を自然遊歩道として整備した。自然環境も含めた宿場町・島崎藤村文学の舞台として景観保存に努め、国の重要伝統的建造物群保存地区に初回(1976年)選定されて今日に至る。

 なぜ、地域を見つめることから始めるかというと、観光まちづくりはすべてがオーダーメイドだからです。しかも正解がないので、対象地域の現状と課題をしっかりと把握し、地域が主体的に活動していけることが大切です。
 そのために、観光まちづくり学部では「社会」「資源」「政策・計画」「交流・産業」という4つの専門領域を学べるだけでなく、習得した知識を統合していく場として「観光まちづくり演習」と「ゼミナール」を4年間にわたり継続的に設けました。演習では5名程度のグループでいろいろな立場を経験しながら課題に取り組みます。教員もティーム・ティーチングになります。例えば、計画づくりのコンサルティング実務をしてきた私は、社会学やツーリズムなどを専門とする教員とタッグを組むという具合です。
 日本各地の豊かな資源をもつ地域で人口の減少が進んでいます。人手不足や空き家問題など、地域の方々だけではその魅力をつなぐことが難しくなっている今、國學院大學観光まちづくり学部に関心を持ってくださる地域は少なくありません。例えば飛騨高山(岐阜県)や内子町(うちこちょう)(愛媛県)など、観光まちづくりを実践している各地から相談があり交流を進めていて、学生たちにとっては今後の学びのフィールドが各地にあるという状況です。

――地域では具体的にはどのようなことをするのですか。

 やはりまずは現地を歩いて、その地域ならではの資源の成り立ちと現状を把握します。例えば学生時代からお付き合いをさせていただいている福島県喜多方市には蔵がたくさんありますが、産業構造や生活の変化により維持管理が課題です。昔の地図や現在の住宅地図などを持って行き、どこにどんな蔵があり、どのように使われてきたのか目視と所有者へのヒアリング等を通して記録します。喜多方には店蔵だけでなく座敷蔵や厠蔵、塀蔵などいろいろな蔵があるので用途や素材、時代の種別により色分けをしました。建物があれば文化があり、文化を支える物と技があり、人がいます。それも1つ1つ書き込みます。こうして視覚化したり、他の地域と比較したりするとそのまちの特徴が顕在化して、活用の道筋も見つけやすくなります。そして、地元の方々と一緒に活用策を考えたり、実験的なイベントに取り組んでいくと、あらためて地元を誇りに思い、これこそがその後のまちづくりの原動力となります。
 わが国の町並み保存のパイオニアである妻籠宿は、宿場町の佇まいと周囲の自然環境とが国内外の多くの人々、特に欧州の方々を惹きつけています。一見すると「変わらない」ようにみえる風景とここでの暮らしを守るために、半世紀以上前からずっと、住民の方々が熱心な議論と工夫を積み重ねてきました。この過程と各地への影響を丁寧に記述し理論化することは、地域主体の観光まちづくりへの示唆に富むと考え、私自身通い続けていて、今後学生の皆さんとも一緒に行けたらいいなと考えています。

 

 文理の垣根を越え、課題解決力を磨く4年間を過ごそう

――文系理系が融合した幅広い科目構成も特徴ですね。

 少人数単位で分野横断的な共同作業を行う観光まちづくり演習に加え、将来を見据えて、柔軟に科目を選択できるカリキュラムを学びの柱としています。学生の興味関心や希望する進路に応じた科目選択ができるように6つの履修モデル(別表)を提示していますが、そこに文系と理系の垣根はありません。

 高校時代の文理選択は難しいです。私も悩んだ末に理系の学部を選びましたが、まちづくりに向き合うと、文系分野の学びの重要性を痛感することが多々あります。地域やまちづくりへの関心があれば、入学後に理系分野を新しく学ぶことになっても、文系分野を新しく学ぶことになっても、対応できるカリキュラムを用意して、入試は文系理系に関係なく、いろいろな科目で受験できるようにしています。1期生の中にも元々,歴史文化に関心があったけれど、授業を受ける中で「自然や計画もおもしろいな」など、さまざまな気づきを得て、視野を広げて新しいことに挑戦している学生がいます。履修モデルBの「歴史や文化の保存と活用」から観光まちづくりを学びたい学生が多いのは、國學院大學の特徴だと思いますが、Fの「観光関連」も多いです。Eの「空間づくり・計画づくり」は少ないかなと予想していましたが、だんだん増えています。目標へ向けて計画する手法を学ぶ大切さに気づいて、B×Eのような履修をする学生もいます。

――1学科ですが、4年間の多様な学びの中で幅広い進路を考えていける仕組みですね。

 はい。それに、さまざまな人から話を聞いて、多角的、多面的に考え、折り合いながら課題を解決していく力や提案する力は、まちづくりの分野だけでなく他の分野でも役に立ちます。ですから進路は多様な活動で地域と世界をつなぐ、幅広い職業を想定しています。観光関連の仕事に就きたい人にとっても、観光が地域に根づくまでの道のりは長く、いろいろな人がかかわり長年の試行錯誤と創意工夫の積み重ねで現在の姿があることをこの4年間で実践的に学んでいれば、信頼される人材になると思います。

――最後に「まちづくり」のおもしろさを教えて下さい。

私自身は都市計画への漠然とした憧れを抱いて大学に入学しましたが、鞆の浦(広島県)との出会いで価値観が変わりました。そこでは地域の交通問題や防災問題を解決するために、美しい港を埋め立てて橋をかける計画が推進されようとしていました。

鞆の浦(とものうら) 広島県福山市南部にある海岸。仙酔島(せんすいじま)・弁天島を含む景勝地。古くから瀬戸内海の要港として知られ『万葉集』にも登場。中世以降は軍事上の拠点として、近世には諸大名や朝鮮通信使も利用した。瀬戸内海国立公園の一部で、鞆公園として国の名勝に指定されている。太田家住宅(国・重要文化財)など古い町家も多い。

しかし地元の主婦の方が「この海を子どもたちのために守っていこう」と呼びかけ、東京大学の西村幸夫先生(現・本学部学部長)に相談が持ちかけられ、その研究室に所属していた私も調査に参加しました。現地に足繁く通い、鞆の浦の歴史文化と自然の豊かさにふれ、地元の方々にお話を聞くほどに、都市計画道路が地域の魅力も人間関係も壊してしまうのではないか? 別の方法もあるのでは? と思うようになり、メンバーと調査や提案、実践をくり返しました。まちづくりは、時間のかかる仕事ですが、そこで暮らす多様な立場の方々にどのような正負の影響をもたらす可能性があるのか、地域の課題解決を図りながらも地域の魅力を次世代へ継承していくためにはどうしたらよいのか長い目で考えることが重要と痛感しました。そこがまちづくりの難しいところでもあり、おもしろいところでもあると思います。ここにやり甲斐を感じてくれる元気な学生さんをお待ちしています。

 

【取材日/令和4年7月28日】