新型コロナウイルスの世界的な感染拡大によって、私たちは改めて「死」というものを眼前に突きつけられました。今回は西洋中世美術・死の図像学がご専門で、美術作品から死生観を読み解く研究を続ける小池寿子先生に、髙橋秀明副校長がお話をお聞きしました。
歴史を知ることは「今」を知ることになる
――私たちは、どのようにパンデミックと向き合えばよいのか。美術史家である先生のお考えをお聞かせ下さい。
戦後生まれの人にとって、コロナ禍はおそらく初めて経験する大きな災いだと思います。私も戦後生まれで、考えてみれば平和な時代を生きてきました。そのコロナ禍が収束しないうちにウクライナ問題が起きて、学生はダメージを受けています。「疫病」と「戦争」という、思いもよらない災いが一気に降りかかってきたのですから当然です。「運がない」「この先どうすれば」などと嘆く彼らによく話すのは、歴史を振り返り、当時の人の行動から学ぶことの重要性です。歴史を知ることは「今」を知ることになるからです。
人から人へと広がる「疫病」は、人類が歩みを始めてから幾度となく人々を苦しめてきました。その記録が文書だけでなくイメージも残っているのは、14世紀半ばにヨーロッパ全土でペストが流行した頃からです。ボッカチオ(イタリアの作家)は、自分もペストを経験しているにもかかわらず、この世界的な災いを人々がどのようにとらえたかを嬉々として描いています。
――世界史の教科書にも載っている『デカメロン』ですね。
ボッカチオは冒頭で「神が与えた懲罰なのか、天体の運行によるものなのか」と書いています。当時の人は、災いが起きると「宗教」か「運命」に原因があると考えていたことがわかります。読み進めていくと、当時の人々は死期が訪れると、その前に準備をしていたこともわかります。遺言書を書いて、お墓を指定して、知り合いの人たちに囲まれて歌を歌って息を引き取っていました。
ところがそういう日常が奪われ、大きな災いにより、突然、死の恐怖を突きつけられると、人間は慌てふためいて、享楽的に生きるか、禁欲的に生きるかの二極に分かれました。ヨーロッパでは14世紀、15世紀あたりがそういう時代でした。19世紀にも同じようなことが起きています。
現代では、パンデミックが起きても二極まではいきません。なぜなら情報量が圧倒的に多く、選択肢がたくさんあるからです。一人ひとりが主体的に考えて行動する時代ですが、私が学生から受ける印象は、世の中のいろいろな現象をどこか絵空事のようにとらえている、ということです。バーチャルな時代は時にリアルが隠されてしまいます。リアルなのかバーチャルなのか、その認識がうまくできていないように感じます。それは自分にとって都合のいい情報ばかりに触れていることが一因ではないでしょうか。もう少し世の中で起きている出来事を、我が事としてとらえて考えることが必要なのではないかと思います。
映像を通して人の痛みや苦しみを知ることが大切
――現実を見極める力を高めるために、工夫されていることはありますか。
人の痛みや苦しみをよりリアルに感じてほしいので、授業では言葉だけでなくイメージで伝えることを意識しています。
例えば、死神の姿や疫病になった人々の皮膚疾患を描いた絵などをプロジェクターで映して見せています。
私は西洋中世美術が専門ですが、サイレント映画の傑作『戦艦ポチョムキン』(ソ連制作)などの生々しい映像を、切り取って見せることもあります。「オデッサの階段」のシーンを映したら、授業後に配付しているコメントペーパーに「映像の力を感じた」と書いてくれた学生がたくさんいました。彼らにとっては美術作品よりも動画のほうが新鮮で、リアルに感じるのだなということを改めて感じています。
ドキュメンタリー番組の「映像の世紀」(NHK制作)も素晴らしい作品です。目をおおうようなシーンがたくさん出てきますが、こうしたリアルな作品をうまく教材に取り込むことが必要だと思います。
以前、アウシュビッツの映像を見た話をした後で、同じく見た当時4年生の学生がものすごく感動していました。非常に問題意識が向上し、東京藝術大学大学院に進学して、現在は横浜美術館の学芸員をしています。今年の4年生にも非常に問題意識の高い学生がいます。良質の映像作品には人の心を揺さぶる力があるので、すべてをシャットアウトするのではなく、リアルとは何かということを伝えていきたいと思っています。
――ペストがルネサンスを準備したように、コロナ禍によって価値観の変化は起こるでしょうか。
コロナ禍で社会が右往左往している時に、いち早く都市社会学や建築学に関連するシンポジウムがオンラインで開催されました。そこで提示された「共生」という考え方は、1つの方向性を示唆しているのではないかと感じました。同じ苦難の中で生きている人間同士、孤立化するのではなく、自分たちで協力し合える部分を探して街や社会を変えていこうというものです。
「共生」という考え方は、ウクライナ問題にも当てはまると思いますが、「日本人はウクライナの苦悩を真に理解しているのか」と問われれば、学生に限らず「理解している」と答えられる人はそう多くないと思います。日本人には、ニュースで流れる映像を見て共鳴していることが美しいことである、と思い込む傾向があるからです。心から共鳴し、協力して新しい世界を築くには、大人も、もう少しリアルに接することが必要だと思います。
自分の身体と真剣に向き合うこと
――人の痛みに共鳴し、共感するには、何よりも想像力が欠かせないと思うのですが。
私はまず「自分の身体と真剣に向き合うことができているか」を問いたいです。自分の体で痛みを感じないと、人も同じことをされたら痛い、というイマジネーションが働かないと思うからです。
私は幼い頃から美術と運動が大好きで、中学・高校時代は陸上やバレーボールに夢中でした。ところが、高2の秋頃から医者である父がノイローゼになり、人生が一変しました。父と関わる中で心身を消耗し、体重が38㎏まで落ちました。当然いろいろな部分に支障が出て、18歳から今日までずっと病院のお世話になっています。
振り返ると20代、30代は陰鬱でしたが、闘病生活は悪いことばかりではありませんでした。自分の体に「今日はどう?」と問いかけて、対話をする習慣が身につきました。それにより自分の心身だけでなく、他人のわずかな変化にも気づけるようになりました。それはとても大きな収穫です。
死生観の研究を志したのも、身体と宗教に関心があったからです。「なぜ医学で人を救えないのか」と悩む父と議論を交わすうちに、人の死について考えるようになり、「※死の舞踏」の研究へとつながっていきました。
私のヨーロッパの印象は哀愁に満ちています。いろいろな民族の興亡の歴史を背負っているからです。その哀しさが、切なくて愛おしくて仕方がないのです。それは現地に行かなければわからないことです。その土地によって空気も違えば、そこで暮らす人々も違います。教会堂に入ってみなければ本当の芸術はわかりません。学生にもそういうものを感じ取ってほしいので、「できれば海外に行き、実物を見て、作品と一対一の対話をしてほしい」と話しています。
――ウィーンには17世紀に流行したペストの痕跡が今も残っています。街の中心地に立つ大聖堂の地下墓地には無数の骸骨が眠っていて、「死」が身近にあることに驚きます。
キリスト教の精神性を見ることができます。ヨーロッパでは火葬をしません。ヨーロッパの人々は「死者は死んでいない、共に生きている」という考え方だからです。それが私にとっては新鮮というか、ヨーロッパの好きなところです。
――「死生観」を掘り下げる先生の研究領域はとても広く、学生の皆さんは自分らしいテーマでアプローチできると感じました。
1年生はまず、そこに驚きます。文学部哲学科に所属していますが、映像、イメージ、言語と幅広く学べるからです。近年、映像に取り組む人もいればアートマーケットに取り組む人もいる……というように、ものすごく幅が広がっているため、「美術史」から「イメージ学」に呼称も変わりつつあります。
私は歴史が好きなので、西洋中世美術を学ぶには古代までさかのぼらなければわからない、と考え、ヒンドゥの儀式などを含め自分の関心事から穴を掘り続けて、メソポタミアまでたどり着きました。いろいろな関心事から穴を掘っていき、思いもよらないところでつながるのが歴史のおもしろさであり、歴史を学ぶ醍醐味だと思います。
――最後に國學院大學の魅力について教えてください。
非常勤の先生に聞くと、一様に「学生の質が高い」と言ってくださいます。それは私たちも感じているところです。教職員も熱心で、國學院大學をブランド化するために一体となって取り組んでいます。博物館を新設し、学部学科を整備して一定の成果を得られているのではないかと思います。おかげさまで美術史学会などの全国大会も本学で開催し、國學院大學には芸術を学べるセクションがある、ということも認知されるようになりました。私が顧問を務める国際問題研究会、歴史学研究会には社会問題に高い関心を持つ学生たちがいて、彼らが今も活動できる場を残してくれる寛大さは、大學に脈々と流れる神道文化の良さではないかと感じています。
【取材日/令和4年5月25日】
死の舞踏 14世紀中頃以降、欧州でのペストの流行を背景に広がった、死者と生者が踊る図像のこと。 |