学校長挨拶
伝統を紡ぎ、今活かされて、未来を歩む
現代、人は成長段階に応じて、それぞれ異なるものを求められます。中学・高校の学生時代には、多くの知識を蓄えるとともに、試験によって1つの正解を導き出す力が問われます。一方で、子どもたちが社会に出たとき、学生時代に貯えた知識をどう活かし、自ら生きる力につなげられるかが求められます。そのとき大事なのは、しっかりとした価値観であり、自分なりの判断力であり、人を思いやり、感謝する心です。
久我山は決して、人の耳目をあつめるようなことをしてきたわけではありません。國學院大學創立時に有栖川宮初代総裁が示された告諭、「およそ学問の道は本を立つるより大なるは莫し」をうけ、その精神を継承してきました。
「今の君があるのは、君ひとりの力によるのではない。多くの人々からの支えが君の力になっているはずだ」ということを、私はよく言います。つまり、久我山の教員や卒業生の築き上げた伝統が、今の君を形づくっているということです。「今」は過去と未来の間にあり、過去に対する感謝と、未来に対する思いやりがあってこそ、今をしっかり生き抜くことに活かされるものであると、私は考えます。
「今の君があるのは、君ひとりの力によるのではない。多くの人々からの支えが君の力になっているはずだ」ということを、私はよく言います。つまり、久我山の教員や卒業生の築き上げた伝統が、今の君を形づくっているということです。「今」は過去と未来の間にあり、過去に対する感謝と、未来に対する思いやりがあってこそ、今をしっかり生き抜くことに活かされるものであると、私は考えます。
当たり前にすべきことを、当たり前にしながら、生徒たちは成長します。教員もまた、生徒とともに学び、成長しています。本校は男女別学を貫いていますが、これもまた、試行錯誤の中から学び、確立したスタイルです。たとえば本校の教員は、生徒と話すとき、時には対面して、時には傍らに並んで座ってみる、といった対応をすることがあります。これは男女それぞれの特性やひとりひとりの個性を知っているからこそできることです。さらに中学生に対しては、その手を離さないような丹念な指導を、また、高校生に対しては、離れてじっと見守りながら育てるという指導を意識します。それぞれに、教え方、叱り方があるということを自然に会得しているのです。
経験によって培ってきた本校の「教育」が揺らぐことはありません。これが久我山の伝統であり、生徒ひとりひとりが未来に向かって進むことのできる原動力なのです。







