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“文武両道” とは

2018年4月11日



    (上)全校生徒一堂に会しての〈対面式〉 ・ (下)中学生徒会主催〈新入生歓迎会〉パンフレット
 
 
 
 *「国学院久我山は文武両道を目指している学校なので、部活も忙しくなると思います。
   それでも、くじけることなく、高い目標を持って頑張ってください。」 
 *「この学校は文武両道を掲げている学校なので、勉強も部活も一生懸命頑張ってください。」 
 *「久我山は文武両道で、とても楽しい学校です。」 
 *「これから3年間、チャレンジすることを恐れずに、文武両道を目指して頑張ってください。」
 
 
本日、昨日の高校に引き続き行われた中学生徒会主催の「新入生歓迎会」
執行部員たちの手作りによるそのパンフレットを見ていて気づいたことがありました。
それは、冒頭に集められた生徒会長をはじめとする執行部員たちの「挨拶」文なのですが、その多くに「文武両道」の文字がうたわれていたのです。
 
ところで、この「文武両道」とはどういうことなのでしょうか。
おそらく同義と思われるメッセージには…
 
 
 *「是非、勉強に部活、楽しいことも沢山して充実した生活を送ってください!」 
 *「初めは不安なことだらけだと思いますが、部活に勉強、やりたいことを見つけて
   楽しんでください!」
 *「自分に合った部活を見つけ、勉強との両立に励んでください。」
 *「この学校は宿題が多くてとても厳しいところもありますが、
   一生懸命勉強し、スポーツにも励み、きちんと青春しましょう。」
 
 
これらをみるに、生徒たちにとっての「文武両道」とは「勉強」と「部活」あるいは「スポーツ」との両立を意味するようです。
 
 
もともと諸説あるこの「文武両道」ですが、一説には《「文事」と「武事」の両面に秀でていること》を意味するとあります。
そのうち「文事」とは単に学校で「勉強」することのみならず「文芸(文化・芸術)」面、つまり音楽や美術をはじめ、茶道や華道など伝統文化にふれその道を極めること。一方、「武事」も「近代スポーツ」以前に、各種の「武道」・「武術」を求道することを意味するとのこと。
このことからも、歴史的には「文事」「武事」もともにその「道」を極めようとする「精神」性に重きが置かれていることがわかります。
 
だとするならば、「文武両道」というものは、「学校」そのものが標榜するようなものではなく、あくまで「一人の人間」・「個々人」の姿勢や気持ちのもちようそのものであり、そもそも「文(事)」「武(事)」は分かつものではないという考え方ができましょう。
いわば、一人の人間として目指すものとしてはあくまで「文武一道」でなければうそであるとも言い換えられそうです。
 
このことに関連して、江戸の儒学者・中江藤樹の言葉に
 
 「武なき文、文なき武は、ともに真実の文にあらず、武でもなし」
 
ともあります。やはり、文と武は切っても切れない関係だということを指摘しているのです。
 
「文武両道」
このようにとても奥の深い言葉ですが、高い目標として設けるに最もふさわしいものといえそうです。
 
 

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