トップページ > 久我山の四季ブログ

「無」って本当に「0」なの? @男子部中学3年〈今、私の思うこと〉全体発表会

2018年3月1日

 
今月、各学年それぞれに行われてきた中学〈今、私の思うこと〉全体発表会
本日、男子部中学3年生が最高学年としてそのトリを務めました。
 

「…身のまわりのことから世の中全般に至るまで、ややもすると〈あたりまえ〉とされていることに対して、『本当にそれは〈あたりまえ〉かな?』、『今一度それについて考え直してみないか!』といった大切な問い直しが5人5様の発表には共通してあったように思います。みなさんは、まもなく義務教育を終えますが、これからの段階にあってはそうしたモノの見方を通して常識とされているものを一旦疑ってみるといったことは、とても重要になってくると思います。…」   〔講評:T.K先生(国語科)より〕
  
 
以下、発表順にその要旨に所感を添えて…。 
 

  

① S.M(1組) ファンとして

  
…いま巷では、ネット上で「無料ダウンロード」コンテンツが流行している。ファンが好きな曲を「無料」で聴くことができるということで人気があるのだが。はたしてこれはいいコンテンツといえるだろうか。またそうしたファンは質のいいファンだろうか。それは、店頭にある商品を勝手にタダで持っていってしまうようなものではないか。一つの「曲」が出来上がるまでの制作の過程にどれだけの人の存在があるかを忘れてはなるまい。
 
(所感)どんな「モノ」にも思った以上に多くの人々の汗と工夫と努力がぎっしりつまっている。その対価はいかばかりか。そうした「モノ」の制作過程の全てをお金にかえることは到底できまい。要は、一つの「曲」、一つの「モノ」の背後に、どれだけの「人」の存在を想像できるかにかかっているのではないか。 
 
  

② G.N(2組) 

 
…この「作文」に対して書きたいことは一つもなかった。「無」であった。それは一つに年齢のせいか。批判を恐れ常識にとらわれて純粋に発想することが幼い頃のようにできなくなってしまったのかもしれない。または、この世界に順応し過ぎて何事にも反抗する力が薄れてきてしまっていることもあるだろう。では、この「無」の状態とははたして「真っ白」で「0」なのかと言えばそうではない。むしろ逆である。色々なものがごちゃごちゃと混在している状態である。今は、こうした得体の知れない「無」の世界から何かを確実に残せるようにしていきたいと思っている。
 
(所感)ものがよく見えるということは、実はなかなか辛いことである。なぜならば、その本質に迫る行為はつまり、一面で捉えていたものの裏の存在にも気づくことに他ならないから。ものは基本的に多面体であると考えた方が良いだろう。いい面には悪い面が、優しさが時に残酷な事態を招くことも。そのことを実感した「君」は確実に大人への階段を上っている。 
 
  

③ S.T(3組) 人生

 
…友達同士の話題というと、決まって「成績」の話となる。なぜだろう?確かに「成績」は重要だし、決して軽視しているわけでもない。しかし、その奴隷になってしまっては、人を見下したり過剰に自慢ばかりしてその人の人生を腐らせることに。人生には、「成績」以上にもっと大切なものがあるのではないか。愛か個性か、それとも…。神様は人に割り切れないものを与えたもうたはずだ。まもなく中学を卒業する。高校へ進学してからも、人生を成績や結果という「小窓」から覗くような成績至上主義に陥ることのないようにしたいものである。
 
(所感)◯◯至上主義というものは、偏狭な考え方をして、ある一つの価値だけに固執し絶対視してしまう危険性が潜んでいる。昨今、耳にする「・・ファースト」もこれに似通った匂いを感じるが、人間存在もまた多面的な生き物であること、その多様性を認め合うような社会を実現したいものである。
 
  

④ K.N(4組) 差別と言う人たちへ

 
…年末のあるテレビ番組の反響は思いの外大きいものだった。それは、肌の色に関わる差別に繋がるとの指摘の声が広がったことによるのだが…。この国はその昔から他国の様々な文化を柔軟に取り入れて歩んできた歴史を持っていたはず。本来の「国際化」とはそうした歴史の上に果たされるべきものだろう。なにかあると差別、差別と声をあげる前に、互いを尊重しあい平等に扱う心を有した人の集まる世の中でありたいものだ。
 
(所感)ネットをはじめ、今や情報は世界各地を巡り、肌の色も生活習慣の違いもまさに「リアルタイム」で疑似体験することが可能となっている。今こうしている間にも、すぐにアフリカの広大なサバンナに立つこともできれば、紛争地帯の瓦礫の中に身を置くことも。しかし、それはあくまで「リアルタイム」であって「リアル」ではない。真の姿はやはり直接自分の目で見てふれあうことを通じてしか実現しない。それは「差別」や「偏見」のない相互理解への第一歩でもあると思われる。 
 
 

⑤ M.K(5組) 落し物から見る日本

 
…街でなにかしら貴重品を落としたという経験の持ち主は実に5割以上。しかし、そのうち6割以上が戻ってきたという。さらに、昨年トータルの不明金36億円のうち実に27億円は持ち主のもとへ。なぜ、これほどまでに戻ってくるのか。単に治安のよさだけではない。それは道徳教育の成功があげられる。落とした人の気持ちを考えようというその教育のお陰ではないか。また遺失物のその後のセンターなどにおける管理システムの充実も見逃せない。身近なところでは、教室内の落し物集積箱の存在もその一例である。落し物を見たら届け、戻ってきたら感謝する、そんな明るい社会でますますありたい。
 
(所感)落し主の困っているだろう表情を思い浮かべ、その気持ちに寄り添おうとするその行為は、単にその「物」を拾ったということだけにとどまらず、その人の「心」を大切に拾い上げたことにほかならない。しかも存分の勇気と思いやりと優しさをもって…。

ページトップへ戻る