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たとえ《シンギュラリティ》が来ようとも…。@高校3年修了式

2018年2月26日

明後日に晴れの門出を控えた高校3年生が、久方ぶりに登校し今年度高校3年生としての修了式に臨みました。
 
その式辞の中で、副校長の國清先生からは、AI(人工知能)が人間の知能を凌駕する可能性を示唆したシンギュラリティについてふれ、その日が実際に来ようが来まいが、これからの人間に求められる力とはいかなるものなのかについてお話がありました。
 
 
  「… 2011年に国立情報学研究所が中心となって立ち上げた人工知能プロジェクト『ロボットは東大に入れるか』は、第一段階の到達地点だった2016年には、全国の受験生が受験したセンター試験で高得点・偏差値をマークしたが、成績の伸び悩みや人工知能の限界が見えたことから凍結したことは記憶に新しい。そこで、研究所としては、AIが人間の知能を越すとされる「シンギュラリティ(技術的特異点)はこないのではないか」と結論づけ、AIの学習能力には限界があり、人工知能が人間の進化を越える日は来ないとした。…。」
 
  「…そうした研究の過程において見えてきたのは、『AIは意味を考えていない。』、『(文章や人の言葉を)理解できていない』といった弱点であるそうだが、それにもまして深刻なのは、読解力のないAI以上に人間の中高生の方がその力がさらに劣っているという現実であるようだ。…」
 
 
ならば、新たな技術革新に身を委ねる前に、まず私たちは今一度襟を正し、人の気持ちや心のあり様、さらに意思の表明された言葉の連なりを通じて、その裏にも託された「意味内容」をしっかりと受け止められる「読解力」を身につけることが求められているようです。

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