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十四歳の「きれいごと」のその先に。@女子部前期課程(中1・2)「私が今、思うこと」全体発表会

2018年2月23日

中学生の「私が今、思うこと」全体発表会も、女子部前期課程では、例年中学1・2年合同で実施されています。 
このキャンパスで過ごす一年365日の歳月というものは、「思う」ことにどんな変化をもたらすものなのでしょうか。そんな一人一人の心の成長の軌跡を垣間見たひとときとなりました。
 
 
  「考えるとは合理的に考えることだ。
  どうしてそんな馬鹿げた事が言いたいかというと、
  現代の合理主義的風潮に乗じて
  ものを考える人々の考え方を観察していると、
  どうやら能率的に考える事が合理的に考える事だと
  思い違いしているように思われるからだ。
  当人は考えている積もりだが、実は考える手間を省いている。
  そんな光景が至る処に見える。
  物を考えるとは、物を掴んだら離さぬというのと同じ事だ。
  (中略)だから考えれば考えるほどわからなくなるというのも、
  物を合理的に究めようとする人には極めて正常な事である。・・・』
  
                 (小林秀雄『考えるヒント』(「良心」より) 
 
そもそも、「考える」ことや「思う」こととは…。
その点にふれた、かの小林秀雄のことばは、いつ読み返してみても背筋がしゃんと伸びる思いがいたします。
そこでの「現代」とは、すでに半世紀近くも昔のことであるのですが…。
  
 
以下、発表順にその内容に所感を添えて…。
  
 
 

① 言葉の力(E.S 2-1)
 
 バスの運転手さんの中に「ご乗車ありがとうございます」に加えて「行ってらっしゃい!」「お気をつけて」と添える方がいらっしゃる。また、立ったままのおばあさまの姿をみて「立っていらっしゃって大丈夫ですか?」と語りかける運転者さんも。譲る方、譲られる方、その両者に配慮したこのアナウンスが結果、実際に乗客の中から席を譲る行為を生み出すことに繋がった。マニュアル通りの言葉に対しての「+α」は、相手のことを第一に考える心のゆとりがそれを生み出す。
 
(所感)決まり文句の綴られたマニュアルには、心も、ましてやその人独自の人柄や個性といったものは一切見当たらない。時代はAIへ。私たちはあくまで人としてあり続けたい。
 
 


② 私はシャーペンを説く(N.M 1-1)
 
 私の心に火がついた! 小学校での討論会でのこと。シャープペンか鉛筆か、用意周到な鉛筆派に見事に敗北、それがシャープペンへの思いをますます熱くしたのだ。たとえ0.3mmの芯は紙を破きやすいとしても…。その熱い思いは、シャープペンの開発者、早川徳次氏への興味関心まで生み出した。とはいえ、鉛筆そのものにも、いいところはあるのだが。私は今のところ、やはり軸がしっかりしているペンが好きなのだが、皆さんにとって自分好みのペンとは?
 
(所感)どんなものでも、自分好みにカスタマイズすることで、生活そのものを楽しく、また深みのあるものにしてくれるはず。ファッションからスマホに至るまで、街は好みの色に溢れている。
 
 
 

③ 知るということ(A.T 2-3)
 
 十四歳の私には、まだまだ知らないことが多すぎる。クラスの友達のこと、世の中のこと全て…。無知は愚かであり同時に相手に迷惑をかけることにも。だからといって知ったかぶりはもっといけない。小学校の時、一年間かけてハンセン病について調べる学習をした。「悲しい」とか「(自分は)頑張ろうと思った」などと中身のない言葉、嘘を書き綴っていた自分を今恥ずかしく思う。知らなければ行動できない。知らないと自分をどんどん小さくする。だから、知らなければならない。知ろうとしなければならない。ゆえに私たちは学ばなければならないのだ、とは、目下十四歳の私の「きれいごと」であるが…。
 
(所感)「無知の知」とは『ソクラテスの弁明』にある。自ら知らないということを知ることは、実に辛い作業ではあるが、人が前進していくための大切な原動力であろうと思う。
 
 
 

④ 犬の殺処分ゼロへ(M.Y 1-2)
 
 広島のNPOが県内の犬の殺処分ゼロを実現したことは、広く報じられたが、まだまだ全国的な広がりには至っていない。CO2ガスによるその方法は、おそらく犬にとっても決して安楽な死とは呼べぬものだろうことは想像に難くない。とはいえ、保健所から引き取ろうにもそう簡単にはできない現実が。その他の生き物も含め、殺処分には反対だ。そもそも捨てる人間が問題だ。最低限、飼い主は最後まで必ず面倒をみるようにしなければならない。
 
(所感)生き物の世界では、弱肉強食は避けて通れぬ道理だが、それでも「生きる」という権利そのものは、皆「平等」であるはず。かの手塚治虫はこの地球を「運命共同体」と呼んだ。

 
 

⑤ 人種差別について(S.H 1-3

 
 人はなぜ差別を繰り返してきたのだろう。アメリカでは50年前にようやく黒人にも選挙権が与えられたという。奴隷の歴史は、日本の国にも存在する。無意識のうちにおこる差別意識。たとえば、コンビニの店員さんに外国の方がいたら自分はどうするだろう?かつてカタコトの日本語で席を譲ってくれた外国の方の気持ちに素直に応じることができなかった苦い経験も。サッカーをはじめスポーツの世界は人種や国境を越えて人々が交流している。それは互いの能力を高めることにも通じている。
 
(所感)無意識のうちに人が為すことは、恐ろしいことにそれまでに学び経験してきたことが蓄積して表出しているに過ぎない。それゆえ、私たちはどこまでも広く深く学び経験し続けねばならないのだ。
 
 
  

⑥ 当たり前をつくるまで(A.S 2-2)

  昨年末のクリスマスイブに私は、はからずも入院することになってしまった。母の付き添いや献身的なナースの方々の存在、さらには、母の味が恋しくなる病院食を通じて、かえってそれまでの当たり前を支えてくれていた多くの人たちの愛情を実感するとともに感謝の気持ちでいっぱいになった。入院の経験は、家族や友達のありがたさ、そして当たり前の暮らしは数え切れないたくさんの人たちによって支えられていることを教えてくれた。そんな方々に「ありがとう」と。その一言で人との距離は縮まるはずだ。
 
(所感)できれば避けたい「非日常」的なことが、私たちに大切な贈り物をしてくれているとはなんと人生は皮肉に満ちていることだろう。サンタさんの粋な計らいか。
 
 

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