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『物之興廃必由人 人之昇沈定在道』空海 @第三学期始業にあたり

2018年1月9日


  
 
「一年の計は元旦にあり」
 
新たな年明けとともに、そうした大切な節目でもある第3学期始業の朝を、主役である生徒諸君が不在という異例な形で迎えることとなりました。長い校史にあって前代未聞のことであり、今後も決して忘れることのできない一日となりました。
 
さて、そのきっかけとなった出来事が発覚した1月3日は、奇しくも高校ラグビー部が聖地「花園」にて、体を張って懸命に闘いに挑み、尊い悔し涙が流された日でもありました。
 

 
その日、試合開始までの時間を利用して、京都に立ち寄り、久しぶりに駅近の東寺を訪ねてみました。
新幹線がいよいよホームに滑り込もうとするとき、左手の車窓にそのシンボルともいうべき五重塔を認めてはきまって古都にたどり着いた安堵感を覚えるものです。
 
東寺は、平安遷都とともに建立された官寺であり、唐で新たな仏教、密教を学び帰国した弘法大師空海とたいへん所縁が深く、世界遺産にも登録された名刹です。
 
その空海がこの国で初めての私立学校となる「綜藝種智院」の建学にあたり、その精神を説いた次のような言葉があります。
 
 
 『物之興廃必由人 人之昇沈定在道』
  (物の興廃は必ず人に由る 人の昇沈は定めて道に在り)
 
 「物の栄えるか衰えるかは、それに関わる人たちの人柄・能力・智恵・努力によるものである。
  また人の成功・失敗や浮き沈みは、その人が、人の歩むべき道を踏んでいるか、
  踏み外したかで決まるものである。」
 

家庭であれ学校であれ、集団をなす組織が栄えるか衰えるかは、そこに集う者たちの努力や精進、さらに思いやりと優しさ、そして知恵があるかどうか、すなわち「人としての道」を着実に歩んでいるかどうかで決まる、といった意味合いでありましょう。

人は誰しも好悪の感情というものがあります。
しかしながら、「私」が嫌いなものでも「他人」から見ればかけがえのない素晴らしいものであるかもしれません。
そうした違いを互いに認めていくことこそが今最も求められているのではないでしょうか。
 
そして同時に、そうした「言葉」の意味するところを、単に知識として終わらせるのではなく、生活の中で実践することが大切です。
口先だけか、それとも行いに反映するかが、空海の言う「興廃は必ず人に由る」ということに通じているに違いありません。
 
このような大切な心構えをあらためて肝に銘じる機会を得た、かえって貴重な「始業」の一日ともなりました。
 
 

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