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富士の高嶺に…@期末試験スタート

2017年12月9日

 
いよいよ、第二学期の集大成である「期末試験」が始まりました。
この日の朝、理科会館の屋上からは、前の晩新雪を身にまとった秀峰富士がひときわ鮮やかにその勇姿を見せていました。
 
 
  田子の浦にうち出でてみれば白妙の
  富士の高嶺に雪は降りつつ
 
 
雪をかぶった富士山というと、『百人一首』でも名高い、『新古今和歌集』に収められたこの一首がおのずと浮かんできます。
さしずめ今日は、「田子の浦」にかえて、黙々と問題と格闘する「学びの浦」とでもいったところでしょうか。
 

 
ところで、この歌はさかのぼること『万葉集』の山部赤人による次の歌をもとにしています。
 
  
  田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ
  富士の高嶺に雪は降りける
 
 
「田子の浦ゆ」の「ゆ」とは、「~から~を通って」といった「経由」を意味していますので、『万葉集』では「田子の浦」で富士を眺めたというよりも、その浦を経てさらによく富士の姿が見られるところまで移動して眺めたことになります。もっといい景色が、さらに勇姿を、と当時の人々もこの山に魅せられている様子が目に浮かぶようです。
また、「白妙の」という比喩に対して、「真白にぞ」は直接的でかえって万葉らしい雄大さを醸し出しています。
さらに、今まさに雪が降り続いているかのように想像をかきたて優雅に歌う新古今に対して、「降りける」もまた「降り積もった」と見たままの感動をストレートに表現しています。
 
歌は世につれ世は歌につれ…。
歌の好みも時代によってさまざまです。
それ以前に、主役の「富士山」そのものにも変容があったのかもしれません。
実際、万葉の時代は猛々しい活火山であったものが、その後平安以降はしばし噴火も収まり優雅でやさしい山姿に変わっていたとの見方もあります。なにしろ、万葉と新古今の間には約500年もの歳月が流れているのですから。
  
いずれにせよ、皆さんはどちらの歌の方がお好きでしょうか?

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