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「まず歩まねばならぬ」〜第六十八回高等学校卒業式挙行〜

2017年2月28日


  
早春のやわらかな日差しが68期の卒業生たちの晴れの門出をどこまでもあたたかく祝福していました。
 
 
   平成28年度 高等学校 第六十八回 卒業式

     卒業生総数 459名(中高一貫生315名)
 
 
 
 
 
まずは、「卒業証書」をM君が、つづいて「三カ年優等賞」をTさんが、それぞれ卒業生を代表して壇上にて学校長から授与されました。その後、皆勤賞や外部団体からの各種の表彰が行われたのち…
 
 
◇ 学校長 「式辞」 より 
 
…今日の佳き日を無事に迎えることができたのは、卒業生のみなさん一人一人の努力の賜物であることはいうまでもありません。しかし、同時にいつでもどこでもみなさんを常に支えてくださったご家族のお陰であることも決して忘れてはなりません。
ところで、これからの混沌とした不安定な世の中を生き抜いていくために必要なものとはなんのでしょうか。
まず「学問に王道なし」と言われます。地道に努力すること以外に近道はないとの意味合いとして使われることの多い言葉ですが、あえて、自ら別解を追求する気持ちを持ってほしいものです。
また、AIなどの技術革新が進む中、ますます人がやらなければならないこと、否、人だからこそ、人にしかできないことを私たちは実践していかなければならない時代に入ったと言えそうです。
皆さんは、この「國學院久我山」での学校生活で、生き抜く力、さらに学び続ける力、それらの基礎を培ってきたはずです。その成果をこれからの人生でさらに実りあるものにしてほしいと思います。
最後に、少々長くなりますが、かの松下幸之助の言葉を引いて、はなむけの言葉とします。
 
 自分には 自分に与えられた道がある。
 天与の尊い道がある。
 
 どんな道かは知らないが、
 他の人には歩めない。
 自分だけしか歩めない、
 二度と歩めぬかけがえのないこの道。
 
 広いときもある。狭いときもある。
 のぼりもあれば、くだりもある。
 
 坦々としたときもあれば、
 かきわけかきわけ汗するときもある。
 
 この道が果たしてよいのか悪いのか、
 思案にあまるときもあろう。
 なぐさめを求めたくなるときもあろう。
 
 しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
 あきらめろと言うのではない。
 
 いま立っているこの道、
 いま歩んでいるこの道、
 とにかくこの道を休まず歩むことである。
 
 自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
 自分だけに与えられている
 かけがえのないこの道ではないか。
 
 他人の道に心を奪われ、
 思案にくれて立ちすくんでいても、
 道は少しもひらけない。
 
 道をひらくためには、
 まず歩まねばならぬ。
 心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
 
 それがたとえ遠い道のように思えても、
 休まず歩む姿からは
 必ず新たな道がひらけてくる。
 深い喜びも生まれてくる。
 
   
次いで、今年の卒業生を新たに迎え入れ、35,644名の大所帯となる同窓会「久我山会」の会長からは、人と人との「つながり」、母校を通じた「絆」の大切さが語られるとともに、「自ら取り組め」との力強い激励の祝辞がおくられました。
 
  
その後、在校生総代のM.K君が常にあこがれとしてあった先輩への感謝と励ましの『送辞』の中で、「今までの常識にとらわれず、自分の意志と気持ちを大切に」とエールをおくれば、
卒業生総代のR.K君が『答辞』として「この久我山での楽しくもあり悲しくもあった様々な記憶をしっかりと胸に刻みつつ、周囲でいつも自分を支えてくださった様々な人たちの存在にあらためて感謝したい」とありのままの気持ちを素直にあらわした上で、「今努力することでしか未来を変えられない」と、力強く別れの決意を述べてくれました。
 
  
 
  巣立ちゆく
  第六十八期生の前途に
  幸多かれと祈ります
 
        お元気で
 

 

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