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そして、私は天才になる!@女子部前期課程(中1・2) 「今、私の思うこと」全体発表会

2017年2月24日

中学生の「今、私の思うこと」全体発表会も、女子部前期課程では、例年中学1・2年合同で実施されています。
 
 「妹」は一つ違いのたのもしき「姉」のことを思い、
 「姉」は一年前の自分を彷彿させる「妹」のことを思う。
 
でも、それは結局のところ、
めぐりめぐって「自分自身」を見つめ直すことに通じています。
 
   我思う ゆえに我あり    ルネ・デカルト
 
 
以下、発表順にその内容に所感を添えて…。
  
 
 
◆ 命を助ける譲渡会(K.C 1-1)
…事情があって「生命」に期限のついた犬や猫たちがいる。保健所で殺処分されるそんな動物を少しでも助けようという「譲渡会」。そこでは、足の震えが止まらず、物陰に隠れてしまうようなものが多い。それでも、引き取り手があらわれ、晴れて新しい家族の一員となれたものもいる。生き物は責任を持って飼うようにしなければならず、殺処分のない社会の実現を望みたい。
 
(所感)人間も他の生き物も「生きる」権利は同じはず。この運命共同体としての地球上において、決して人間中心主義に陥らず、いかに共生していくかが、ひるがえって今後の人類そのものの運命をも決することにつながっていくだろう。
 
 
◆ 世界の子ども達は今(M.G 2-2)
…マララ・ユスフザイさんの国連スピーチは記憶に新しい。「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、それで世界を変えられます。」と教育の大切さを説いた彼女。国家予算が十分でなかったり、依然として男尊女卑の考え方が残っていたりとかわいそうな子どもたちはたくさんいる。それに比べ、こうしてあたりまえのことを享受できる私たちはとても幸せだ。
  
(所感)とかく人は、自分の置かれた環境が全てであたりまえだと思いがちである。そうした視野の狭さは、自分自身の考え方をも偏狭なものに堕してしまう危険性がある。まなこを開いてまずは色々な世界を見つめてみることから始めたい。
 
 
◆ 天才の定義(K.K 2-1)
…天才と呼ばれる存在には、アインシュタインやピカソなどのような先天的な天才と、早期教育が施されたり、本人の努力による後天的な天才との2種類が存在する。この中で努力型には1万時間が必要とされると言われているが、1日に換算すれば決して難しい数値ではない。その典型とされるイチローはいう。「小さなことを重ねることでとんでもないところへ行ける」と。
 
(所感)「努力」以外は、持って生まれたものであったり、親の力添えであったりと、自分以外の「他力」に頼っていると言わざるを得ない。それに比べ、残された「努力」だけは、正真正銘「自分」の力で道が拓かれていく。自力に勝るものなし。
  
 
◆ 心、気配り、判断力(A.T 1-2)
…電車で通学するようになって色々な人のことを観察するようになった。その中で、自らのストレスのはけ口としか思われない行動を見せる大人も多い。また、スマホの普及で一人の空間の中に閉じこもる人も。さらに、大人たちの暗い表情も気にかかる。私は目指したい。広い心を持ち、人への気配りができ、正しい判断を下してしっかりと自己主張できる人となることを。
 
(所感)大人であっても、年端もいかない子どもであっても、卑怯なことをする人間は残念ながら、いる。では、どうしたらいいのか。まずは自分で考え自分で行動することから。なぜならそういう自立した人は、結果を他人のせいにだけはしないから。
 
 
◆ 天皇の生前退位について(M.M 1-3

…8月8日の11分間に渡る「お気持ち」の発表。私は82歳というご高齢のことも考え「生前退位」については賛成の立場をとりたい。もちろん、反対意見も頷けるところがある。憲法との兼ね合いや元号、暦の問題、さらに国のまとまりが乱れるのではないかという懸念など。国民の意見を聞くという方法もあろう。やはり私は何よりご自身の「お気持ち」そのものを尊重したい。
 
(所感)皇室の存在とは、この国にあっては文化そのものの歴史と言っても過言ではないだろう。ではその歴史とは何か。それは「もの」より「ひと」によって紡ぎ出されるもの。この国の精神文化の、確かな来し方行く末のためにも…。
 
  
◆ 懸命に生きること(H.M 2-3)
…ネット上で見つけたある文章。私と同じか年下の子どもが不治の病と言われる難病と闘いながら必死に生きる姿が綴られていた。また、アメリカの5歳の少女が、次第に手足が動かなくなるという遺伝子関係の難病を苦に自らその若さで死を選んだという衝撃的な事実も。生と死は表裏一体紙一重。自殺だけは認めがたい。自分の命の尊さに思いをいたし、今を懸命に生きたい。
 
(所感)今さえよければ、ではなく、今ここにいる自分に感謝することであらためて見えてくるものがある。また、視野を広げることのみならず、思いがけない苦境に立たされることではじめて自分とはかけ離れた境遇の人の存在が見えてくるものでもある。

 

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