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「障害」もまた「個性」なり @男子部中学1年 〈今、私の思うこと〉 全体発表会

2017年2月22日

入学してまもなく1年が経とうとしています。
身体も一回り大きくなり、そして心も、さらに考えることも・・・どれだけ成長を遂げることができたでしょうか。
こうして、みんなの前で勇気を出して「今の私」をさらけ出すこと、それが出来ただけでも彼らは立派に正真正銘の「中学生」になりました。
 
もう、「小学七年生」なんて、言わせません! (笑)
 
 
以下、発表順にその要旨に所感を添えて…。 
 
 

  
◆ S.T(4組) 私が今するべきこと

  
…小学校の頃から環境問題に関心を持ったこともあり、みんなが安心して暮らせる社会の実現のためにも、将来科学者になりたいと思って中学に入学した。また、中学生になってから初めてオーボエの演奏にもチャレンジするようになり、将来はオーボエ奏者にもなりたいと思うようになった。私は日頃苦しいことから逃げていないか、今のこの取り組みが夢につながっているか、そうした検証をしながら過ごしている。今は、この二つの夢の実現に向けて両立を目指していきたい。
 
(所感)「二兎追う者は一兎も得ず」とあるが、この言葉はあくまで強欲への戒め。彼のように多くの夢の実現に向け克己して前進する者の場合は別。挑戦せずに後悔するよりも、仮に失敗をしての苦悩の方が、人は納得して強くなれるはず。
 
 
 


  
◆ S.T(2組) 便利になる世界

 
…今や、世の中は急速に便利になっている。便利とは、人間にとって使いやすいこと、都合がいいこと、ひいては生活そのものが楽になることでもある。しかし、見方を変えればそれは人間がますます動かなくなることでもあり、個人情報の流出や3.11などを通じても危険がかえって増すことにもつながっている。ここらで、私たちは自分たちのこの便利な生活を改めて見直す必要がありはしないか。その上で、あえて不便を楽しむことも大切だと考えるがいかがなものか。

(所感)物事は、必ず功罪相半ばするもの。いいこともあれば必ず悪いこともある。そうした表と裏は一体化しているということに注意したい。それにしても、今を生きる現代人の一人として、「不便を楽しむ」、この言葉をぜひ座右の銘としたい。 
 
 
 


  
◆ S.M(3組) 「死ね」という言葉について

 
…そのものの価値を一気に無にすることの命令形として発せられる「死ね」という言葉。日に3度は耳にする現実。大人も安易に使用し、「日本、死ね」のように流行語となったケースも。怖いのは、そう発することで自分の気持ちは「そこそこ」しか伝わっていないにもかかわらず、その身近で万能であるという感覚からか、「言葉の逃げ道」になってしまっていることだ。「死ね」という言葉は、紛れもなく、他人を傷つけるだけでなく、自分自身を卑しめることにつながっている。
 
(所感)「言霊」という考え方がある。言葉にはまさにそれを現実化させる力が宿っている。言葉としての表面的な意味にとどまらず、相手の心に神がかった大きな影響が及ぶのであれば、できる限り、美しく正しい言葉遣いを心がけたいものである。
 
 
  


  
◆ S.Y(5組) 双子の兄の存在

 
…兄とは、双子ではあっても顔も性格も似ていない。個性もそれぞれ、喧嘩することもしばしば。しかし、周囲からは双子ゆえ比べられてしまうことも多い。とはいえ、自分たちは良きライバルでもあり仲の良い「友人」のように思って暮らしている。そして何より、大切な「家族」なのだ。親は私たちの名に共通の字を当てた。それは「力を添えて助ける」という意味を持つ漢字だ。これからも兄とは、その名の通り、お互いに助け合っていこうと思う。
 
(所感)人はいつしか独立独歩生きていく。兄弟であってもその荷物は次第に質・量ともに変化する。しかし、一人では生きていけぬもの。それまでに同じ時間・場所を過ごした、血の繋がった「友」が身近にいるということはなんと心強いことか。
 
 
  


  
◆ K.O(1組) 障害者がいるということについて

 
…昨年起こった障害者施設での事件を通じて、ネット上では「よくやった」といった賞賛の声が上がったことには正直驚きを隠せない。そうした人には、自分自身もまた明日お金を稼げない存在に陥るかもしれないという想像力が欠如しているのだ。さらにお金を稼げない人は生きている価値がないのかと憤るしかない。それでなくとも、人は多く障害者に抱く感情として「かわいそう」という。それは相手を見下した証拠。欧州では「障害」はその人の「個性」と捉えている。その点、日本はまだ途上だ。
 
(所感)宮城まり子さんの「ねむの木学園」を訪れた高校生の感想文を思い出す。「日頃、やれ辛い嫌だと不平不満ばかり口にする私たちの方が、ずっと障害者だと感じた」と。これまた、障害者と直接ふれあってみて初めて開眼したことである。
 

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